※本稿は、工藤勇一・苫野一徳『子どもたちに民主主義を教えよう 対立から合意を導く力を育む』(あさま社)の一部を再編集したものです。
「心の教育」の問題
【苫野】(本書の)前章では「民主主義の本質とは何か」というテーマを軸に、日本の学校教育が目指すべき方向性について話をしました。本章では、それを妨げている学校の問題について、ご一緒に考えていきたいと思います。
【工藤】実は、民主主義の成熟を妨げてきたものに、これまで日本でよいとされてきたものがあります。それが「心の教育」です。
具体的な言葉を挙げれば「思いやり」「無償の愛」「仲良くしましょう」「一致団結」「心をひとつに」「絆」……挙げればキリがありません。日本の学校でこれらの言葉を使わない教員はたぶんいないし、「心の教育」を否定する教員もいないでしょう。だって教育学部で教えていますからね。僕以外に「心の教育」を真っ向から否定する人に会ったことがありません。「知・徳・体」という一見素敵に見えるこの目標が教育界を苦しめ、子どもも教員も保護者も不幸にしている大きな要因だと思います。
「心の教育」の問題は、できもしないことをゴールに設定していることです。これがいろいろな歪みを生むんです。
対立の平和的解決には対話が必要
【工藤】先日もSNSである有名な方が「誰一人置き去りにしない学校をつくるためにはどうしたらいいか」と投稿されていたんですけど、その結論が「思いやりの心を持つこと」だったんです。そして案の定、その投稿に対して「いいね!」がいっぱいつくんですよ。
現実的に考えてほしいのですが、社会を持続可能にするためには対立をどんどん解きほぐしていかないといけませんね。対立を解きほぐすために何が必要かというと、どんな対立があるのかを明確にしないといけません。そして対立を平和的に解決するには、お互いの利益を損ねないためにはどうしたらいいか対話を重ねないといけない。
こうした一連のプロセスを一切飛ばして、「思いやり」「美しい心」「愛」といったもので解決しようとするのは、あまりにも乱暴すぎます。そんなつかみどころのない話でお茶を濁すのではなくて、ちゃんと現実を直視して、感情を切り分けて、理性的に物事を考える。これが「誰一人置き去りにしない社会」をつくる唯一の方法だと思っているんです。


