黒板に絵を描いて、営業の心得を説く
1994年1月下旬の経営会議のときだ。社長が突然、「渡辺君、次は商環境事業部だ」と言った。驚いた。四十六歳。入社以来、というよりもアルバイトにきていたときから、電機や自動車などの新商品の発売から巨大なショーの展示まで、メーカーの販促活動をひと筋に手がけてきた。その司令塔のMC事業部長になっていた。
商環境事業部は、百貨店や量販店、複合商業施設などの内装や販促品を受け持つ部隊で、メーカー担当の世界とはノウハウもコツも違う。だから、社内の異動はMCならMC、商環境なら商環境と、同じ部門内を縦に動くだけで、「別世界」へいく例はなかった。
だが、商環境部門は、バブル崩壊の打撃を、強く受けていた。消費の低迷で百貨店は新規の出店をやめ、派手なイベントも消え、百貨店・量販店向けの売り上げは90年度の216億円から94年度には69億円と、3分の1に急減した。その再建に、稼ぎ頭で全社を支えていたMC事業部の司令官を、投入する。思い切った選択だ。
ビジネスパーソンのかなりの人が、経験していることだろう。予想もしていなかった人事異動が、突然、やってくる。しかも、行き先がよく知らない分野だったり、逆風下で苦しんでいる部門だったりして、歩んでいくことになる道の先も、みえない。でも、指導者になる人は、そんな場合でも「嫌です」とは、決して言わない。
商環境事業部長は、下に部長級が15人いて、営業、制作、デザイナーの3チームがあり、営業部は5部まであった。初めて足を踏み入れる人間に、それだけの世帯を切り盛りできるのか。人事部が心配したのだろう、「誰か好きな部下を連れてっていいですよ」と言ってきた。でも、「いや、MCの部下を連れていっても何もわからないから、要らない」と断る。
94年2月16日、着任すると全員を集め、個々の役割の明確化を求めた。ところが、それまでそんなことを言う上司はいなかったようで、みんな、ピンときていない。これはダメだ、と思い、勉強会へ切り替えた。人によって、蓄えたノウハウや勘どころも違うから、一堂に集めて説くことはしない。まず営業部隊を少人数のチームに分け、黒板に絵を描きながら、お客へのプレゼンテーションの仕方から教えた。営業の心得も、それぞれに話す。勉強会は毎週やり、テーマは相手の進度に合わせ、個々の部員がのみ込むまで重ねた。