少数の改革派vs多数の守旧派

1997年9月、ニューヨークのマンハッタンで、短期滞在者用のアパートを借りた。住友銀行(現・三井住友銀行)の証券企画部次長のときで、「銀行の証券業務をどうするか、グローバルにどう展開すべきか」について、分析を依頼した米コンサルタントと議論を重ねるためだ。ここで四十四歳になり、暮れまで3カ月いた。

SMBC日興証券 会長 久保哲也

ニューヨーク駐在の常務をトップに、総勢は8人ほど。通常業務から離れ、議論を集約した方向はこうなった。「将来、銀行が強みを発揮できる証券業務分野は、デリバティブ(金融派生商品)や各種の証券化、M&Aなど、投資銀行に近い業務だ。それを実行する部署を新設し、加えて、どこかの時点で株式の売買もやるべきだ。ただ、自社単独では、難しい」

これを受け、米国駐在常務は、ある米投資銀行と組んで証券子会社をつくる案を推した。日本にある証券子会社は、債券取引が中心で、議論の方向にそぐわないとの判断だ。だが、途中で何度か日本に帰って会議で報告すると、反対者が多い。友好関係にある大和証券や系列証券との関係を重視し、外国勢との展開案を「きみらは何を考えているのだ」と非難した。

少数の改革派と多数の守旧派。ヘッジファンドへの投資と、似た構図だ。結局は改革派の新頭取が主導し、新たな挑戦は実現していくが、その前に、打破しなければいけないことが続き、板挟みとなることも多かった。でも、議論は、丁寧に進める。

98年初め、経営陣へ提出した最終報告書には、組むべき相手として日米の証券会社の名はない。ただ、チームでまとめた方向性は、強く醸し出す。提出後、何人かが「久保さんは、本当に誠実に対応した」と言ってくれた。

曲がったことは嫌いで「違う」と思うことには、真っ向から反対する。生まれ育った薩摩の風土を受け、普通は引き下がらない。でも、1つの目標へ向かって、議論を深め、まとめていく事務局長の役であれば、対立する双方の言いたいことに耳を傾ける。そのうえで「自分は、こうあるべきだと思うが」と示す。当然なことをしただけなのに、「誠実」と受け止めてもらい、ありがたい。