98年7月、報告書に沿って新しい部ができて、初代部長に就く。ここで、ヘッジファンドへの投資も指揮するはずだった。だが、その前にもう1つ、大きな課題を背負う。金融界に、バブル時代の後遺症と言える不良債権が膨らみ、「金融危機」が襲った。大手証券や大銀行でさえ経営危機に陥るところが出て、大和証券も態勢立て直しに、春過ぎに住友銀行に連携を求めてきた。その交渉の事務局長役も、舞い込んだ。

法人向け証券業務で、合弁会社をつくろうというところまでは、交渉は順調だった。夏には、基本合意も発表した。だが、秋に、対立が深刻化する。大和は、自社の法人向け業務を合弁新社へ現物出資のように切り出し、その業務の評価額が出資額となる。対立は、評価額を巡って始まった。住友は大和の株式の時価総額のなかで、価値をはじく。一方、大和は時価総額を上回る評価額を主張する。当時、日本の株価は下落し、大和の個人向け株式業務は停滞中。その評価をマイナスとして、法人向け業務はその分だけ時価総額に上乗せした額になる、との理屈だ。

続いて出資比率でも対立した。住友は「大和の苦境を支援するのだから、こちらが過半数を持っておかしくない。譲るとしても、せめて半々だ」と要求し、大和は新会社は自社の法人向け業務を基盤にするのだからと、6割の出資比率を求めた。交渉は暗礁に乗り上げ、1カ月、凍りつく。

対立下でも、胸中は「これは、ぜひともまとめよう。大和証券のためにも、住友銀行のためにも、決裂は避けねばならない」との思いで、定まっていた。長く友好関係にあった大和の苦境を助けることもできなければ、経済界における住友銀行の信用も傷つく。ただ「誠実に」話し合うのみ、頭取の心中も同じだ、と踏んでいた。

全国拠点巡りで「一体感」を醸成

板挟みも、今度は自分1人ではない。大和側の事務局長役も、同様だった。交渉が止まっても、2人だけで会い、打開策を練る。そんななか、国会が金融危機打開へと動き、想定外だった大和の株価回復が起きた。2人の思いが通じてか、頭取が「住友4割、大和6割でいこう。また、見直す機会もくるだろう」と決断、法人向け業務の評価額でも歩み寄る。「戦友」とも呼ぶ大和の事務局長役とは、ともに別の会社で働くようになったいまも、信頼関係が続く。

「至誠無息」(至誠は息むこと無し)――きわめて誠実であるということに終わりなどはなく、このうえもなく大きなものだ、との意味だ。中国の古典『中庸』にある言葉で、誠実さは永遠でなければいけない、と説く。どんな議論や交渉にも、ただ「誠実に」を貫いて周囲の人々を1つの解へ導いた久保流は、この指摘に通じる。