道理に従えば、答えはみえる
1995年3月、本社の経理課長から東京支社の業務部長になった。営業活動以外のすべての責任者で、関東地方と新潟、長野、山梨の1都9県が守備範囲。工場勤務の経験は岩手県と大分県であったが、営業拠点は初めて。43歳、自分では意外な異動だった。
前年秋に、自分がいた小野田セメントと秩父セメントが合併し、秩父小野田になった。秩父の会長が「合併では、大きいほうに合わせるのが筋だ」と決断し、コンピューターシステムをはじめ、すべてを規模が大きい小野田のやり方に一本化する。ただ、それには時間がかかるから、多くの部門が、とりあえず二本立てで動いた。
だが、経理部門は、そうはいかない。1つの会社になったのに、決算を別々に出すことは、できない。しかも、決算期末まで、時間は少ない。でも、慌てない。秩父の経理部門と話し合い、何でも理に沿って合意を重ね、相手も安心して合体できる雰囲気を育みながら、数字を1つにまとめ終えた。だから、もう転勤させてもいいということか、突然の異動だった。
業務部は総勢15人。内示を受けたとき、社長から「こういうことだから、頼むな」との指示は、ない。経理畑ひと筋だったせいか、上司は「現場で勉強してこい」と言うだけ。では、何が責務か。
道理に従えば、答えはみえる。国内は過当競争で、全国のセメント販売会社や生コンクリートをつくる会社は、苦しい。小野田と秩父の系列会社はもちろん、非系列も含めて、再編が最大の課題だろう。とくに、バブル崩壊までに数が増えた生コン会社の統合が、急務だ。そう、心に定めた。
生コン会社とは、営業以外に、土地を貸したり人を派遣したり、業務部とのつながりも多い。経営者にはオーナーが多く、その面々と、ひんぱんに付き合った。初めての現場勤務だけに、いろいろと勉強になる。ときに、経済の成熟化や人口減で、先々のセメント需要が減るなかでどう生き残ればいいかも、話題になる。
そのとき、自説を滔々と述べることは、しない。ただ、生コン会社でつくる協同組合は中小や零細の集まりなので、独禁法の適用除外になり、共同で価格が決められるので安定すること、生コンのプラントを減らす協議ができることなどを、説明するときもある。再編や統合が理に適う選択肢であることを、手順を踏んで、伝えた。