迂闊な「ひと言」が致命傷となる時代

職業柄、人前で話をする機会がよくあります。街頭演説で温かい声援をいただくこともあれば、政治の場で厳しい言葉の応酬が繰り広げられることも。記者の方から鋭い指摘や批判の声を頂戴することなど、そのとき、そのときで空気は違います。

どんなシチュエーションであれ、感情にかられず冷静に対処するために、日頃からどのような工夫をしているのか尋ねられることがあります。以前は、すぐに感情が顔に出ると、未熟さを指摘されることが多かったので、馬齢も重ねる意味もあるのかなあと思ったり……。

思惑異なる外交、笑顔の前後には怒りのやりとりも
1997年12月11日に地球温暖化防止京都会議で合意された、地球温暖化防止のための「京都議定書」。発効には「55カ国以上の国の締結」などの条件があり、2004年9月30日、ロシアの批准決定を受けて発効に至った。合意から発効まで、7年以上の歳月が費やされた。写真は、京都会議の全体委員会で議定書がまとまり、各国代表からねぎらいの拍手をうけるエストラーダ議長。(時事=写真)

そこで、今回は私なりのストレス解消法や「心の整え方」についてお話しいたしましょう。

最初に白状するなら、もともと私はあまりストレスや怒りをためないタイプの人間です。周囲が激高しているような場でも、私自身は飄々としていることも多く、まあ鈍いといってもよい。少し前の言葉で言うと、「鈍感力」でしょうか。

もちろんそんな私でも、ときとして大声を出して発散したくなるほど腹が立つこともあります。そのようなときは、まずは自分が怒っている姿を客観的に思い描きます。

今日の情報社会においては、政治家などが感情に任せて怒ってしまった映像も、繰り返し資料映像としてテレビやインターネットで流されます。ひと昔前、ある企業経営者が自社の不祥事の際、記者の取材に対して、「私は寝ていないんだよ!」と吐き捨てたシーンは、いまだに流されることがあります。

メディアのなかには、わざと相手を怒らせて言葉を引き出す手法を使う人もいます。それに真っ向からリアクションすれば、それこそ、相手の思うつぼです。その瞬間の映像や言葉は切り取られ、編集され、前後の文脈から独立して独り歩きを始めます。そのリスクを考えたら、そう簡単には怒れません。

政治家のみならず、家庭や企業、友人関係でも、怒りっぽい人は、業績はともあれ「狭量な人物」として人々の記憶に定着してしまいます。

怒ることのデメリットは、ほかにもあります。それは単純に怒ることに費やされるエネルギーが無駄だということです。

人は怒りを爆発させることでストレス発散をしているように思いがちですが、事実はその逆です。本来大切なことに費やされるべきエネルギーが、怒ることで無駄に放出されてしまっているのだから、実にもったいない話です。

よくストレス解消法についても聞かれます。私の場合はいたってシンプル。寝ることです。

最近、疲れがたまっているな、イライラしがちだなと感じたら、とにかく寝る。それも意図的に「今日は〇時に寝る」と決意して睡眠時間を確保します。ちなみに都議会の第2回臨時会が終了した日は、夜の10時にはベッドに入り、朝まで爆睡でした。

大切なのは、常に「鳥の目」をもつことです。目の前に嫌なこと、理不尽なことはたくさんあります。しかし、鳥の目で俯瞰し、目の前の大問題も、全体として見れば小さなことだと考える。常にその先、その先を眺めていけば、建設的なエネルギーの使い方に変わるものです。自分の力はどこに向けるべきなのか。それがわかっていれば、些末なことに怒っている余裕などなくなります。