親の介護は施設か自宅か?

4年前の2013年、両親が他界しました。父は90歳、母は88歳でした。

父は、死亡診断は心不全でしたが、大往生とも呼べる最期。一方、晩年の15年ほどを私と暮らした母も、肺がんの診断を受けながらも手術や抗がん剤治療、延命治療は行わず自宅での緩和ケアを希望しました。そして「残された時間を楽しく過ごしたい」と家族に見守られながら、大好きな煙草をくゆらせてあの世に旅立ったのです。夫婦ともに自分の人生を全うしましたし、残された家族も心の準備をしながら最期の時を共有でき、比較的悔いの少ない介護時間を持てたと思います。

入所待ち解消を目指して進む特養の整備
特別養護老人ホームとは、常時介護が必要で、家庭での生活が困難な高齢者が入所する施設。入浴・排泄・食事の介護など日常生活上の世話のほか、機能訓練、健康管理などが行われる。東京都には、512の施設があり、定員数は4万6230(2017年8月1日現在)。東京都は、25年度末までに定員6万人分の整備を目指す。(Getty Images=写真)

父は特別養護老人ホーム(特養)で、母は自宅で最期を迎えたわけです。当時、議員として全国を飛び回っていた私が一人で両親の介護をするのは現実的に不可能。唯一の兄も海外滞在が多く、常時の介護は望めなかったため、苦肉の策としての選択でした。

両親に介護が必要になったとき、どこで介護すべきか、まず迷います。そこで少しでもご参考になればと思い、施設と自宅と双方の介護を経験した私なりの体験をお話しいたしましょう。

日本は現在、住宅事情や介護環境の過渡期にあります。若者人口が減少し、単身高齢世帯は増加。少子化と同時に「多死化」が進行している時代では、空き家問題も深刻です。現在、日本全体の空き家は約820万戸。そのうちの1割が東京に集中しており、国や都も対策に乗り出しています。平成27年度の税制改正で空き家を放置し続けると、固定資産税における住宅用地の特例措置が受けられなくなりました。かつての集合住宅を若者向けのシェアハウスにしたり、大学の寮にリノベーションしたり、さまざまな活用法も生み出されています。

そして、多死化の結果発生するもう一つの問題が介護です。少子化、晩婚化、女性の社会進出などで、自宅で高齢者を介護する余力が失われている昨今、介護離職や老老介護、育児と親世代の介護が重なる「ダブルケア」のケースも増えています。

そうはいっても、大切な両親を心地良い環境で最期の時間を過ごさせてあげたいと望むのはどこの家庭も同じ。そこで直面するのが、「どこで、どのように介護すべきか」という問題です。医療の充実している病院か、介護スタッフのいる施設か、あるいは住み慣れた自宅か。これは本当に難しい問題で、私も随分悩みました。年齢、病状、介護度、認知症のあるなし、そして家族構成や居住環境などさまざまな要因が絡み合い、たった一つの正解はありません。

しかし、介護者側の事情はさておき、介護される側の人間は何を希望しているのかを見てみましょう。「自宅の畳の上で死にたい」とは、以前よりよく聞かれる言葉ですが、実際に東京都で「希望する高齢期の住まい」に関して調査したところ、「介護が必要にならないうち」は、75.4%の人が自宅での生活を望んでいることがわかりました。さらに「介護が必要になったとき」でも、53.4%は現在の住居に住み続けたいと望んでいるのです。

残念ながら、現在、自宅で最期を迎えられるのは約1割強で、およそ8割の人は病院で亡くなっています。1950年頃には約8割の人が自宅死していたことを考えると、完全なる逆転です。諸外国でも、これほど自宅での死亡率が低いのは珍しいことです。