デカルトは「旅」でバイアス退治に取り組む
デカルトは、数学のような確実な知を得ることを強く望んでいた。ところが人文学は、彼にとってバイアスまみれのように思えたのだ。そこで、学校を卒業した後は、書物の学問をごっそり捨ててしまう。
<わたしは教師たちへの従属から解放されるとすぐに、文字による学問〔人文学〕をまったく放棄してしまった。そしてこれからは、わたし自身のうちに、あるいは世界という大きな書物のうちに見つかるかもしれない学問だけを探求しようと決心し、青春の残りをつかって次のことをした。旅をし、あちこちの宮廷や軍隊を見、気質や身分の異なるさまざまな人たちと交わり、さまざまの経験を積み、運命の巡り合わせる機会をとらえて自分に試を課し、いたるところで目の前に現れる事柄について反省を加え、そこから何らかの利点をひきだすことだ>
デカルトは、書物を捨てて旅に出たのだ。30年戦争が始まる1618年、22歳のときである。オランダ、ドイツ、イタリア、パリなどを遍歴した。オランダに移住して腰を据えたのが1628年なので、10年近くにわたって旅の生活を続けたことになる。
彼が旅から学んだことは、次のように記されている。
<われわれにはきわめて突飛でこっけいに見えても、それでもほかの国々のおおぜいの人に共通に受け入れられ是認されている多くのことがあるのを見て、ただ前例と習慣だけで納得してきたことを、あまり堅く信じてはいけないと学んだことだ>
旅に出て、他者と交流するなかで、デカルトは「前例と習慣」からなるバイアスを相対化し、自らの哲学を確立していった。
デカルトの哲学にとってはプロローグにすぎない旅の話だが、その経験は、バイアス退治の示唆に富んでいる。それは、自分の見知った場所とは異なるところに身をおいてみることだ。
しかし皮肉なことに、「自分の国、自分の書物」から離れて、執拗にバイアスを取り払おうとしたデカルトの哲学、そしてそこから発展した近代哲学に対しては、バイアス退治の効果は薄いという批判が少なからず向けられている。その理路を考えながら、もうしばらくバイアス退治の話におつきあい願いたい。