幸福な人生とはどのようなものか。古代ギリシャの哲学者たちは、ただ生きるということではなく、よく生きることが重要だと考えた。そのための道具が「理性」だ。理性があれば、富や名誉、食欲、性欲などに振り回されずに生きることができる。だがこれは裏を返せば、それだけ理性的な行動が難しいということだ。現代の私たちはどうすればいいのか――。

透明人間になれたら何をするか

もしも透明人間になることができたら、あなたは何をするか。この素朴な思考実験を、正義や道徳に関わる問題として扱った哲学書がある。古代ギリシャの哲学者・プラトンの代表作『国家』だ。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/francescoch)

この本のなかで、プラトンの兄・グラウコンは、はめると透明人間になれる指輪に関する伝説を紹介したうえで、「この指輪を、正しい人間と不正な人間がはめると何をするだろうか」と問いかけている。

グラウコンの考えは、この指輪をはめてもなお、正義にとどまるような意志強固な人間などいるはずがない、というものだ。その後に続く部分を読んでみよう。

<市場から何でも好きなものを、何おそれることもなく取ってくることもできるし、家に入りこんで、誰とでも好きな者と交わることもできるし、これと思う人々を殺したり、縛(いまし)めから解放したりすることもできるし、その他何ごとにつけても、人間たちのなかで神さまのように振舞えるというのに!――こういう行為にかけては、正しい人のすることは、不正な人のすることと何ら異なるところがなく、両者とも同じ事柄へ赴くことでしょう>(プラトン『国家』藤沢令夫訳、岩波文庫)

いくら正しい人間だって、透明人間になれるなら、盗み、レイプ、殺人などやりたい放題を尽くすだろう、というのである。

「ただ生きる」のではなく「よく生きる」

この思考実験からグラウコンは「正義は、個人にとって善いものではない」と結論づける。彼に言わせれば、透明ならざる人間は、やりたいようにはできないから、しぶしぶ正義に従っているにすぎないのだ。

『国家論』では、この後に、ソクラテスの反論が展開される。要旨だけを述べれば、不正や悪徳を働く生き方は、魂がかき乱されるのだから、決して幸福な人生とはいえない、というものだ。

では、ソクラテスやその弟子であるプラトンにとって、幸福な人生とはどのようなものか。

それは、理性を用いて、善の何たるかを知り、富や名誉、食欲、性欲などに振り回されずに生きることだという。別の著作でソクラテスは言っている。<大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということなのだ>(『クリトン』)と。