ヒトは生まれながらのサイボーグ
「人間は生まれながらのサイボーグなのだ」とびっくりするようなことを言う哲学者がいる。エディンバラ大学教授のアンディ・クラークだ。
いや、将来はわからないけれど、いまは別に電子機器を体に埋め込んでいるわけじゃないし、自分がサイボーグとは思えないんですが……というのが、一般的な感想じゃないだろうか。
人間が生まれながらのサイボーグであるとは、いったいどういうことか。種を明かせば、それほど難しい話じゃない。
たとえば仕事の計画ひとつをとっても、私たちは手帳やカレンダー、エクセルなど、道具や機器の助けを借りなければ、適切に立案することはできない。3つ、4つの仕事の段取りを頭の中だけで処理しようとしたら、あっという間にこんがらがってしまう。
「738×356」のような計算も、常人では頭のなかだけで実行するのは無理だ。紙とエンピツがあってはじめて、筆算をして答えを導くことができる。
道具・人工物なしではまともに思考できない
クラークは、『Supersizing the Mind』(未邦訳)のなかで、ノーベル賞を受賞した物理学者ファインマンのユニークなエピソードを取り上げている。
ある歴史学者が、ファインマンが使っているノートやスケッチの束を見て、「これらが、あなたの日々の仕事の記録なんですね」と言葉をかけた。それに対して、ファインマンは「いや、紙の束は記録ではなく、実際にそれが仕事をしているんです」と答えたそうだ。
私たちが何か複雑なことを考えるためには、何らかの道具や人工物の助けが必要だ。逆に言えば、道具がなければ、私たちの脳は相当なポンコツなのである。クラークも次のように述べている。
つまり私たちは、さまざまな人工物と一緒に物事を考えている。考えることに関して、私たちは人工物(数字や言語、種々の記号も人工物だ)とほぼ一体化している。これが「人間は生まれながらのサイボーグである」ということだ。