人気政治家の「ワンフレーズ」で、選挙結果が大きく変わることがある。なぜ私たちはその場限りのアジテーションに乗せられてしまうのか。それはそうした演説が、ヒトの心のバランスを意図的に崩すものだからだ。本質を見誤らないために、私たちが自覚すべきこととは──。

カーリングから考える「二重過程理論」

「そだねー」──この文字列を見るだけで、多くの人は何の苦労もなく、平昌冬季五輪で活躍したカーリング女子日本代表チームを思い浮かべることだろう。両者をつなげるためには、論理的な推論は必要ない。知り合いの顔を見て、「○○さんだ」と即座に判別するのと同じように、「そだねー」と聞いたり、文字で読んだりすれば、私たちはパッとカーリング女子たちのことだと判断できる。

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他方で、カーリングの試合じたいは「氷上のチェス」と呼ばれているように、選手たちには技術もさることながら、高度な戦略的思考が要求される。ルールを知らない人が、カーリングの試合を見ても、選手たちがなぜストーンをあのような位置に投げるのか、おそらく理解不能だろう。いや、ルールがわかったとしても、ショットやスウィーピングの意図を理解するのは難しい。カーリングの試合を理解するには、見る側にも論理的な思考力が必要なのだ。

さて、私たちが「そだねー」と聞いて日本代表チームのことだと判断する心の働きと、選手たちのプレーを理解する心の働きとは大きく異なりそうだ。その違いは、現代の心理学ならば「二重過程理論」という学説で説明できる。

「速いこころ」と「遅いこころ」の違い

「二重過程理論」に関してはさまざまな本で詳しく解説されているし、ネットで検索すればたくさんの解説ページや論文がヒットする。ここではその要点だけを述べておこう。

二重過程理論とは、ヒトの心には二種類の情報処理システムが重なっているという考え方のことだ。ふたつのシステムの呼び方はいろいろあるが、学術的には「システム1」と「システム2」と呼ぶことが多い。だが、それでは無機質なので、ここでは阿部修士氏(京都大学こころの未来研究センター准教授)が『意思決定の心理学』で用いている「速いこころ」と「遅いこころ」という呼び方を採用したい。

同書では「速いこころ」(システム1)を「直感的な反応や情動的な反応、本能的な欲求の発現を支えるシステム」と説明している。先の「そだねー」に対する反応は、「速いこころ」が作動していると考えていいだろう。グルメ番組で、有名人がおいしそうに食べる料理を見て「食べたい!」と思ったり、前方から来る自転車をよけたりするのも「速いこころ」の働きだ。「速いこころ」は、本人の努力は必要としない。「直感的」「情動的」という言葉が示すように、モノを考えずとも自動的に作動する。

それに対して「遅いこころ」(システム2)は、「合理的判断や論理的思考、自制心といった、意志の力によるこころのはたらき」を支えている。カーリングの試合を見ながら「なぜ、あそこに石を置いたのだろう?」と考えるのは「遅いこころ」を使っている。仕事のスケジュールを立てたり、ゲームの誘惑を断って勉強したりするのは「遅いこころ」が働いている。