「メソポタミア」の一言だけで全聴衆が震えた
私が「速いこころ」の極端な例として思い浮かぶのは、アメリカの信仰復興運動の立役者ジョージ・ホイットフィールドの説教だ。国際基督教大学教授の森本あんり氏は『反知性主義』のなかで、次のような信じがたいエピソードを紹介している。
<その語り口たるや、まったく見事という他ない。彼は、同じ言葉を四〇回まで繰り返し、しかもその一回ごとに感動が高まるように語ることができた。ある日の観察によると、それは「メソポタミア」という一語だったという。(中略)いったいどんな文脈でそれが出てきたのか見当もつかないが、彼がただこの言葉を何度も語調を変えて叫ぶだけで、それ以外何も話していないのに、全聴衆は涙にうち震えたという>
<移住してきたばかりのあるドイツ人女性は、英語が一言もわからないのに、ホイットフィールドの説教を聞いて感極まり、「人生でこれほど啓発されたことはありません」と叫んだとか>
そんなバカな……と思うかもしれないが、程度の差こそあれ、私たちが何かに熱狂しているときの心のあり方は、この聴衆と似たようなものなのだ。
理性の領分たる「遅いこころ」は、立ち上がるスピードや処理能力に関して、「速いこころ」に比べて明らかに分が悪い。それは、私たちが根本的には動物的に生きることから逃れられないことを示唆している。
だが、動物のままであれば、すなわち「速いこころ」だけに身を任せていたら、人類が文明を築くようなことはなかっただろう。では、人間はなぜ、リソースの乏しい「遅いこころ」を使って、さまざまな制度や技術を生み出すことができたのか。次回は、その謎を「拡張された心」というアイデアから考えてみたい。
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