日本の「倫理」とフランスの「哲学」
日本の中等教育では、哲学の存在感はきわめて薄い。高校生で哲学に接する機会は、選択科目の倫理ぐらいだが、倫理を入試科目として採用している大学は皆無に等しく、もっぱらセンター試験のために勉強する科目になってしまっているのが現状だ。
しかも、高校倫理の範囲はやたらと広い。西洋史、中国思想、日本思想、宗教がぎゅっと詰まっている。これでは、どうしたって暗記科目になってしまうだろう。実際、予備校で倫理を教えている知人によれば、デカルトですら「デカルト=我思う、ゆえに我あり」と、1分ぐらいで通過してしまうそうだ。
講師がじっくり説明したくても、「入試に必要ないことを教えるな」という圧力が以前に比べて強まっているため、雑談や脱線がしづらくなっているとのことだった。
日本の教育現場での哲学の影の薄さに比して、よく引き合いに出されるのがフランスの哲学教育だ。
<フランスの教育制度の特徴としてしばしば言及されるのが、リセ(高等学校)最終学年における哲学教育と、バカロレア(大学入学資格試験)における哲学試験である。文系、理系を問わず、すべての高校生が哲学を必修として学び、哲学試験はバカロレアの第一日目の最初の科目として実施される。この哲学の特権的な位置こそが、フランス人の思考力を鍛え、またフランスの哲学的伝統を守り育てていることは疑いない>(坂本尚志「バカロレア哲学試験は何を評価しているか?」)
授業時間もたっぷりとある。最終学年では、文系で週8時間、社会・経済系で週4時間、理系で週3時間が「哲学」の授業にあてられる。そうして受ける哲学試験が、これまたびっくりするような内容だ。近年の哲学試験から、いくつか列挙してみよう。
・人は自らの文化から自由になることができるのか?(2017年理系)
・欲望は本質的に際限がないのか?(2016年文系)
・個人の意識は、その人間が属する社会の反映でしかないのか?(2015年社会・経済系)
各専攻とも、こうした論述問題が3題出題され、うち1題は、哲学書の抜粋文を説明する問題となっている。2017年ではルソー『人間不平等起源論』(文系)、ホッブズ『リヴァイアサン』(社会・経済系)、フーコー『ミシェル・フーコー思考集成』(理系)の抜粋文がそれぞれ出題された。