「理性的に物事を考えれば、大半の問題は解決できる」。そんな主張は大間違いだ。ときに直観は理性を凌駕する。たとえば、なぜ野球の外野手はフライの落下場所がわかるのか。それは「直観」のおかげだ。ただし直観にも「苦手分野」がある。野球を例に、使い分けのポイントを考えてみよう――。

外野フライは計算で捕れるのか?

理性の失敗を物語る愉快なエピソードがある。ドイツの心理学者ゲルト・ギーゲレンツァーが、著書『なぜ直感のほうが上手くいくのか「無意識の知性」が決めている』(インターシフト)のなかで挙げているフライの捕球に関するエピソードだ。

草野球チームに入っている彼の友人フィルは、監督にしょっちゅう叱られていた。フライが上がったときに、小走りで落下地点に向かっていたからだ。

野球をしたことがある人なら、小走りでフライを捕ることに違和感はないだろう。それが、ごくごく当たり前のやり方だ。

ところがこの監督は違った。

<監督の目には、フィルのプレイは無用なピンチを招く行為と映ったのだろう。最後の瞬間に捕球位置を修正できるように全力疾走しろと言って譲らない>

理論が逆効果をもたらすこともある

はたして結果は逆効果だった。フィルもチームメイトも、監督の言葉に従って全力疾走をするほうが、捕球ミスが多くなってしまったのだ。

この監督には、フライの捕球に関する独自の理論があった。選手は無意識のうちに、ボールの軌道を計算している。それなら、できるだけ早く落下地点に行くのが最善のプレイだというセオリーである。

選手はほんとうに、ボールの軌道計算をしているのだろうか。ギーゲレンツァーは、そんなはずはないという。

<現実の世界では、ボールは空気抵抗や風、ボール自体の回転の影響を受けるので、放物線状には飛んでくれない。したがって、脳はさらにいろいろな要素、とりわけ、ボールの各飛行ポイントにおける風の速度と方向を推定し、その結果として生じる弾道と落下点を弾き出す必要がある>

無理だろう。選手がこんなに複雑な計算をしながら、落下地点に向かっているわけがない。では、どうして外野手は、フライのボールが落ちる場所がわかるのだろうか。