弱い人を守りたいと司法試験に挑戦
「中大にいる頃は、周りに弁護士になろうと勉強する人は多かったし、卒業後、司法試験に合格し、弁護士になった人もいます。私が長い時間をかけて、試験の勉強をすることができたのは、このような環境にいたこともあります。中大に進学していなかったら、今の自分はないかもしれませんね」
八王子合同法律事務所(八王子市)に勤務する弁護士の和泉貴士さん(41歳)は、過労死や過労自殺など、自死に関する事件を主に扱う。日本労働弁護団や自由法曹団に所属し、解雇や退職強要、パワハラ、セクハラなどの労働事件も担当する。
司法試験に合格したのは、2007年。32歳のときだった。
東京学芸大学附属高校卒業後、1995年に中央大学法学部(法律学科)に入学した。1年の頃に、司法試験に向けての勉強をスタートした。憲法の判例などを読み進めると、社会的弱者の権利が十分には守られていないと感じた。
「25条の生存権について裁判で争われた判例を読むと、怒りが湧いてきました。なぜ、こんなに弱い人の権利が守られていないのか、と。弁護士になって、弱い人を守りたいと強く思うようになったのです」
試験勉強に本格的に取り組んだのは、3~4年になってからだった。周りの学生が、就職活動を始めた頃だ。
「メーカーに研究員として勤務する父の姿を小さい頃からみてきました。何かと気苦労をしているようでした。私は、仕事の裁量権などが自分に与えられている、フリーランスのような職業に惹かれるものがあったのです。それが弁護士でした」
99年に卒業した後は家庭教師などのアルバイトをしつつ、勉強に専念した。25歳のとき、旧司法試験の短答式試験(択一式試験)に受かった。憲法・民法・刑法の3科目について、5肢の択一式で解答する。
「早いうちに択一式に受かったので、論文試験もある程度、スムーズに合格するかなと思いました。結局、なかなか受からなかったのです」
旧司法試験では、2次試験として短答式、論文、口述の3つがあった。これらに合格すると、司法試験に合格したことになっていた。1次試験は、大学卒業者は免除されていた。短答式をパスした和泉さんが壁にぶつかったのが、論文の試験だった。
「限られた時間で、論点などを整理し、いかにわかりやすい文章を書くか。このことが問われるのです。私は知識が豊富でしたから、論点や素材などは次々と浮かんできます。当初は、制限時間内で思い描いたように書くことができなかったのです」