「ラストの試験」で見事に合格

この頃、勉強を一緒にしていた中大卒の友人たちが試験突破を断念し、民間企業や公務員などの試験を受け始めた。

「このままでいいのかな、と焦りを感じました。20代後半の今ならば、進路を変えるのにぎりぎり間に合うと考えたこともあります。父は心配していたようです。試験に本当に受かるのか、と何度か聞かれました」

司法試験の予備校で、初学者向きの講座のチューターや講師をするようになった。弁護士になりたいという思いは、ますます強くなった。

2001年から司法制度改革が本格化する。2004年、各大学が法科大学院(「ロースクール」)を設けた。受験知識の詰め込みではなく、プロセス重視の教育という理念を掲げた。和泉さんは、その理念に期待するものがあった。04年、29歳のとき、中央大学の法科大学院に進学する。06年から、新司法試験が始まった。その年、母が死亡した。

「翌年(07年)の受験までは、母の死の影響もあり、勉強があまりできませんでした。父と支え合う日々でした。この年に不合格ならば、違う道に進もうと思っていたのです。30代になっても、会社員の経験がない自分を雇ってくれる会社はあるだろうか、と考えたことはあります」

当時、司法試験の受験資格は3回だった。和泉さんは旧司法試験で1回、ロースクールで1回と、計2回になっていた。残りは1回。

「自分の弱点を中心に勉強を続けました。ラストだから、悔いのないようにしよう。そんな思いが強かったです」

07年に合格した。父は「ようやく終わったな」と喜んでくれた。