キャンサーギフトすら色褪せる“がん貧乏”

家族の誰かががんになると、いいことは1つもない、といってもいいような気がします。それでも「家族ががんになると、家族の絆が強くなる」などという人は結構います。たしかに「キャンサーギフト」(がんがくれた贈り物)という言葉もあるのですが、そう思わなければやっていられないところのほうが大きいのではないか、と思ってしまいます。素晴らしい贈り物だったとしても、もらうにしてはあまりにも代償が大きすぎるため、ひねくれたところのある私は、素直によろこべないのです。

わが家の場合も、家族の絆は強くなりましたが、稼ぎが少ないダメ夫の私には、これは寝ぼけた戯言のようなもので、妻に申し訳ない、という罪悪感のほうがはるかに大きい、といえます。妻が最期を迎えるとき、このことについて、恨みを込めて責められるのではないか、と恐れるほどです。これでは最悪の別れとなってしまいます。このようにお金がないと、「家族の絆が強くなる」という大きなキャンサーギフトですら色褪せてしまう、と思わずにはいられないのです。

連載「ドキュメント 妻ががんになったら」が書籍化されました!『娘はまだ6歳、妻が乳がんになった』(プレジデント社刊)

家族みんなが健康でも、お金がなければ心に余裕がなくなり、ギスギスしてしまう家庭は少なくありません。私の妻はおおらかな性格で、お金がないことで私を責めることはありませんが、お金で落ち込むことが多く、常に心の余裕がない状態です。ぼんやりとした不安に支配されているのです。

また、お金がないと、自分の世界が狭くなる一方です。友だちと飲みにいくくらいなら家族と外食をしたほうがいい、趣味にお金を使うくらいなら、家族がほしいものを買ってあげたい、と心から思うからです。そのほうが私のよろこびにもなるのです。

これも一種のキャンサーギフトなのかもしれませんが、自分の世界を狭めてしまうことには違いがありません。また、知らず知らずのうちに、ずっしりとまとわりつくようなストレスにつながることは、少なくありません。

プライベートの世界が狭くなるだけならまだいいのですが、仕事にも影響しています。私はフリーでライターをしているため、人一倍情報や流行に敏感であるべきで、取引先の編集者に有効な情報を話せければならないのですが、お金がないと、どうしても疎かになってしまいます。たとえば、本屋で気軽に本を買わなくなりました。流行を押さえるには体験するのが一番ですが、お金がかかることが少なくありません。そのため、流行を体験することも激減しました。

性格も暗くなってしまいます。私の場合、笑うのがイヤになりました。家族が大病をして暗くならない人はいないでしょうが、妻や娘を楽しませるのに影響が出るようでは、夫として失格です。特に妻の場合、私との結婚を決めた大きな理由が「おもしろい人だから」でした。ですから妻からすれば、いまの私と昔の私のギャップが、悪い意味でかなり大きいのです。

このようにお金がないと、家族ががんになったことでのデメリットが、さらに大きくなってしまうのです。一番つらくて悔しいのは、お金がないことで闘病している妻の人生を、潤してやることができないことです。