闘病者の“ダラダラ”のメリットとデメリット
がんなどの大病で闘病している人は、心身ともにムリをせず、少しでも不調を感じたら、早めに安静にしておいたほうがいいのは、いうまでもありません。ただ、単なる“ダラダラ”は“療養”にならないような気がします。たとえば、疲れたときにベッドで横になるのは“療養”につながりますが、ベッドのなかに入っても、ずっとスマートフォンをいじっているのは“療養”ではなく“ダラダラ”だと思うのです。
もちろん、精神的に参っているときは深刻にならず、“ダラダラ”するのも“療養”につながると思いますが、そうでない場合は、極力“ダラダラ”を排除したほうがいいように思います。
このようなことを書くと、ただでさえ闘病で大変なのだから、好きなようにさせてやればいいではないか、という意見もあると思います。たしかに一理あるのですが、脳科学的に見た場合、基本的に脳は怠け者なところがあるため、段々と単なる怠け者になってしまう可能性が出てきます。
それでも“ダラダラ”することで身体の疲れやダメージを回復させ、リラックスさせてくれる副交感神経が働きやすくなるため“療養”につながる、という意見もあるでしょう。闘病が大変なのだから、精神が病んでしまう危険性を考えると、怠け者になるくらいいいではないか、という考え方もあるかと思います。
ただ、ストレスや緊張を感じているときに働く交感神経も、活動的な行動をするには欠かせません。副交感神経だけでは、前向きにはなれないと思うのです。実際、交感神経と副交感神経がバランスよく働かなければ、自律神経を健康な状態にもっていけない、という医者はかなりいます。
妻の場合、精神的に参っていたり、疲れたりしているときの“ダラダラ”は、“療養”につながっているように思えます。ただ、心身ともに調子がいいときの“ダラダラ”は、“療養”にはつながらず、かえって不摂生のように思えます。厳しい意見かもしれませんが、人生のムダ遣いをしているように見えるのです。実際、妻も「今日はなんにもできなかった」と後悔の言葉を口にし、反省することが少なくありません。
つまり、闘病者の“療養”は絶対に必要ですが、それに加えて“ダラダラ”した日々を送っていると、副交感神経を優位にするのには有効ですが、ほとんど交感神経を使わなくなってしまうのが問題だと思うのです。
こうなると、何ごとにも段取りが悪くなり、ちょっとしたストレスにも打たれ弱くなります。妻の場合もそうで、自覚してハッとすることが少なくないのです。これではますます活動的な日々を送ることができなくなってしまいます。そのため、妻が“ダラダラ”している日々が続いているな、と思ったら、さり気なく注意するようにしています。