闘病生活の「風邪」は余命宣告より怖い?
がんになると、つらい闘病生活を送ることになります。それでも「余命宣告」されていなければ、完治する可能性が高い人も少なくありません。そういう意味では、“希望につながる闘病生活”と思うこともできます。残念ながら妻の場合、主治医から「治るとは思わないでください」といわれているため、ゴールのないマラソンを走っているようなものです。常に「余命宣告」の恐怖がつきまとう、つらくて過酷なレースです。
最近、妻が続けていた抗がん剤の効き目が悪くなってきたため、新しい抗がん剤に変えました。これは1つの希望が消えることを意味します。新しい抗がん剤が効くかどうかがわかるまで、私たち夫婦の憂鬱な日々が続きます。効かなければ、近い将来「余命宣告」されてもおかしくないからです。
この気持ちは、がん闘病者とその家族にしかわからないかもしれません。つらくて過酷なレースですが、妻も私も、このゴールのないマラソンから降りることは考えていないのです。少なくとも、11歳の娘が20歳になるまで、なんとしてでも、妻にはがんばってもらわなければなりません。
幸い新しい抗がん剤の効き目が現われ、ひと息つくことができたのですが、妻の闘病が終わったわけではありません。それでも妻は命を拾うことができたのです。新しい抗がん剤が効いているうちは、命をつなぐことができるからです。このように「余命宣告」に怯えながらも、「がんと一生つきあっていくつもりで、長生きしよう」と妻と言い合い、家族でがんと対峙しているのです。
昔から「風邪は万病のもと」といわれ、風邪をこじらせて死ぬ人もいますが、健康な人なら、かなりの無理をしない限り、風邪で死ぬ確率は極めて低い、といえるでしょう。ところが、がん闘病者の場合、感染症にかかりやすいため、風邪をこじらせて肺炎になり、死に至るケースはめずらしくはありません。
一昨年前の12月中旬、そのことを痛感するできごとが起きました。妻が風邪をひいたのですが、重症ではなかったため、安静にしていればだいじょうぶ、と思ったのです。ところが、クリスマスになっても風邪は治るどころかひどくなる一方で、高熱が続き、トイレに行くのも大変な状態になってしまいました。救急車を呼ぶべきと思ったのですが、妻が制したため、もう少し様子を見ることにしたのです。
数日後、高熱が続いているとはいうものの、ほんの少し快復の兆しが見えた妻をタクシーに乗せ、クリニックに連れていくと、肺炎と診断されました。