「闘病を左右するのはお金」ということを痛感
今から15年ほど前、がんで闘病されている人たちを取材したことがあります。その数20人ほどで、しかも全員電話取材。1日4人ほど取材しなければならなかったので、どういうふうに段取りよく進めたらいいのか、いろいろと考えたのを、今でもよく覚えています。編集者の話では、みなさん快方に向かわれているとのことでしたが、がんは「死に至ることがめずらしくない病」です。闘病されている人たちの気持ちにどう寄り添い、失礼がないよう取材するにはどうしたらいいのか、よくわかりませんでした。
ただ、私の母も40代後半で胃がんになり、主治医から「もしものことがあるかもしれませんから、覚悟しておいてください」といったことをいわれたことがありました。ですから、がん闘病者の気持ちは、少しはわかるかもしれない、と思いました。幸いにも母は10年以上再発することなく生きていたため、早い段階で母のことを簡潔に話せば、少しは希望がもてる話になり、取材がうまくいくのではないか、と思いました。
取材をしていて驚いたのは、みなさん大病で闘病されているというのに、かなり協力的だったことです。「自分の体験談を活かしてほしい」という思いが、ひしひしと受話器から伝わってきました。ただ、残念なことに病状が急変し、余命宣告された人も2人いたため、なんと声をかけたらいいのか、わからなくなってしまった取材もありました。そんな人たちでも、嫌がることなく真剣に取材に応じてくれたのです。
この取材を通じて痛感したのは、「闘病を左右するのはお金」ということでした。これはこの取材から10年後、私も妻ががんになって痛感することになりましたが、治療費を稼ぐために、ムリして正社員で働いている人が多かったのには驚きました。これは「働かなければ、命をあきらめることになる」からです。そのため、必死になって働いている人が多かったのです。実際、お金がないために治療をあきらめる人は、今も昔もめずらしくはありません。
ただ、働くことで死の恐怖を忘れたり、生き甲斐になったりしている人もいました。たとえば、美容師をしている肝臓がんに冒された50代の女性は、「肉体的にきついものがありますが、一生懸命になって働いているあいだは、死の恐怖を感じずにすみます」といっていました。清掃員をしている数カ所転移が見られる60代の女性は、「掃除をしていて『ありがとう』といわれることが生き甲斐になっています」と語ってくれました。このように働くことで、救われる人もいるのです。これは私の妻にも当てはまることでした。