「捨てられたらおしまい」という不安を抱かせない
先行き不透明なこの時代、夫に愛情があっても経済力がないと、離婚を決意する妻は意外といるかもしれません。ところが、これががんに限らず、闘病のために働くことができない妻の場合、夫に愛情や経済力がなくても、離婚を考えることができない人は、結構いるのではないかと思っています。離婚どころか、「捨てられたらおしまい」という不安を抱えている人は、少なくないような気がします。これでは生き地獄です。
私の妻の場合、「闘病にお金がかかって自分では何も生み出していないから、自分が生きている意味が見出せないと思うことがある」ということがあります。たまに「生きていてもいいのかな?」とポツリと聞いてくることがあります。せつなすぎる質問です。そんなときは「生きていてもらわなくては困る」とすぐに返していますが、罪悪感を覚えているためか、妻は私に気を使い、自分の気持ちを押し殺しているように思えるときがあります。
これは私の夫としての器が小さいからです。つくづくダメ夫だな、と思ってしまいます。こういうときは、むしろこちらが気を使ってやらなければなりません。妻の場合も、「捨てられたらおしまい」と思っているからです。
妻を捨てるわけはないのですが、こちらがどれだけそう思っていても、妻に不安を抱かせるようではいけません。私の場合、気をつけなければならないのは、自分が精神的に追い詰められているときです。特にお金や仕事の問題が深刻な状態だと、逃げ出したくなります。表に出さなくとも、ずっとイライラしています。
このような状態が続くと、妻からすれば、無言で責められているようなもので、「捨てられたらおしまい」という不安につながりかねません。気持ちを切り替えるのは難しいのですが、もっとも気をつけなければならないことだと思っています。
妻に「捨てられたらおしまい」「自分では何も生み出していない」「生きていてもいいのかな?」などと思わせないために、何かをしてもらったり、気を使ってもらったりしたら、必ず感謝の言葉を述べるようにしています。当たり前のことですが、こちらが精神的に追い詰められていると、つい無愛想な返事だけで終わってしまうこともあるからです。
ただ、こちらが精神的に参っているとき、何かをしてもらったり、気を使ってもらったりしたら、救われることも少なくありません。たとえば、妻が私の精神状態が悪いのを察して、何もいわずに私の家事担当である食器洗いを絶妙なタイミングで始めると、それだけで疲れが吹き飛び、お礼の言葉とともに、すぐに食器洗いに取りかかれることがあります。妻の気遣いに、癒やされるのです。こんなことではダメだ、と前向きになるきっかけになるのです。