人間にとって一番怖いものはなにか。それは人間かもしれない。ノンフィクションライターの小野一光さんは、福岡県で起きた「北九州監禁連続殺人事件」の取材を続けてきた。そこには、事件化されていない親子の死があったという――。
北九州市の監禁・殺人事件 福岡地裁小倉支部に入る松永太被告を乗せたとみられる車=2003年5月21日午前10時22分
写真提供=共同通信社
北九州市の監禁・殺人事件 福岡地裁小倉支部に入る松永太被告を乗せたとみられる車=2003年5月21日午前10時22分

日本中を震撼させた空前絶後の猟奇事件

2002年3月に発覚した、起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。同事件では、主犯の松永太(逮捕時40)と緒方純子(同40)が、緒方の親族らへの殺人罪(うち1件は傷害致死)に問われ、松永の死刑と緒方の無期懲役刑がそれぞれ確定している。

この事件は、松永と緒方に監禁されていた17歳の少女が、逃走の末に警察に駆け込んだことで明らかになった。

少女は自分の父親が松永らに殺害され、さらに緒方の両親や妹夫婦、その子供2人も殺害されていると主張。捜査が進められていくなかで、松永が少女の父親や緒方家の親族を監禁し、「通電」(電気コードで人体に電気ショックを与える拷問)の虐待によって、精神的に支配していた状況が詳らかになっていく。

【図表】「北九州監禁連続殺人事件」相関図
プレジデントオンライン編集部作成

当初は被害者たちに消費者金融で借金をさせるなどしていたが、それが不可能になると、警察に駆け込まれないよう長期監禁、そして虐待の末に殺害。最初の“カネづる”とされた少女の父親を殺害してからは、緒方家が次の標的となっている。

その際、松永は緒方の父親を通電で殺害(傷害致死)してからは、残りの家族同士で殺害するように仕向け、緒方の母親、妹、その夫、甥、姪の順で命を奪っていった。

事件化されなかった事案

甥は5歳、姪は10歳と、まだ幼かった子どもたちに手をかけたうえ、被害者の遺体を生き残った家族に解体させるなど、同事件の凶悪さは筆舌に尽くしがたいが、松永と緒方が関係する死でありながら、事件化されなかった事案も存在する。

それが、93年10月(家出は4月)から94年3月にかけて彼らと同居した、母子2人が連続して死亡した一件。

母親の名前は末松祥子さん(仮名、死亡時32)。娘の名前は莉緒ちゃん(仮名、死亡時2)という。

20歳の頃に松永と交際していた祥子さんは、88年に筑後地方の役所に勤務する男性と結婚。91年10月に莉緒ちゃんを含む女の子ばかりの三つ子を生んでいた。

当時、松永は、それまで福岡県柳川市で営んでいた布団訪問販売会社が破綻し、密かに営んでいた闇金業でも、広域暴力団から預かっていたカネが返却できなくなるなどして、緒方と共に地元から逃走。同県北九州市で人目を避けて暮らしていた。そうした隠遁生活のなかで“金づる”を求めた松永が、祥子さんに甘言を弄して接近したのである。

その状況について、松永と緒方の福岡地裁小倉支部における公判での、検察による論告書には次のようにある。