1995年4月、オウム真理教の教団施設から多くの子どもが保護された。子どもたちはどんな環境に置かれていたのか。NHK「クローズアップ現代」取材班の著書『オウム真理教の子どもたち 知られざる30年』(集英社インターナショナル)より、救出に関わった警察と児童相談所の関係者たちの証言を紹介しよう――。
「子供を返せ」信者が要求 オウム関連施設を一斉捜索
写真=共同通信社
「第10サティアン」から保護された子供たちを返すよう要求するオウム真理教の信者たち=1995年4月14日午前11時40分、山梨県上九一色村(カラーネガ)(※オンライン記事にのみ掲載している画像です)

サリン製造工場の隣で暮らす子どもたち

95年3月20日、都内を走る地下鉄の3つの路線で猛毒サリンがまかれ、14人が死亡、約6300人が被害に遭った「地下鉄サリン事件」。この2日後の3月22日、警察は、上九一色村の教団施設に強制捜査に入った。毒物を使った反撃があるかもしれないと、検知用のカナリアを連れて行く姿が繰り返しテレビニュースで流れた。

その際、教団施設の中で、子どもたちが劣悪な環境で集団生活を送っているのが確認された。このときに撮影された写真が、今回私たち取材班が請求し開示された山梨県中央児童相談所の記録の中に残っていた。

山梨県警察本部職員による「写真撮影報告書」で、撮影日は3月22日および4月14日と記されている。なお、この報告書は警察本部には残っていない。警察から児童相談所に提供されたものが、今回の開示請求で出てきたものとみられる。

事件後に山梨県がまとめた「オウム真理教対策の記録」によると、第10サティアンは鉄骨造り3階建てで、延床面積は約3400平方メートル。礼拝堂や体育館のほか、信者の居住スペースがあった。なお、サリン製造の化学工場があったのは、第10サティアンに隣接する第7サティアンである。