当初想定していた受け入れ人数は20〜25人程度

「20人くらいの子どもが、ゴキブリやハエがいる衛生環境の非常に悪いところで生活をしているという話でした。学校にも通っておらず、親からも離れて生活しているという。上九一色村にそれほど多くの子どもがいるなんて全然知らなくて、びっくりしたことを覚えています」

警察関係者が帰った後、早速、所内で幹部による協議が行われた。警察の話では、確かに子どもたちは不適切な環境にいると認められる。しかし、児童相談所の職員は、誰も現場を確認していない。保護が本当に必要かどうかの判断は、警察に委ねられる。しかし、地下鉄サリン事件後の騒然とした状況の中で、児相職員がサティアンに立ち入り調査を行うのは現実的ではなかった。

最終的には、児童相談所長の職権として、一時保護に踏み切ることになった。

そのうえで、次のような対応をとることが確認された。

・子どもは分散せず1カ所で保護
・24時間体制の警備を依頼
・虐待を想定した健康診断の実施

それから1週間、受け入れの準備が慌ただしく進められた。児相側は当初、20~25人程度の一時保護を想定していたが、その見込みは大きく狂うことになる。

「約60人の要保護児童が施設内にいる」

95年4月14日午前7時、山梨県警は家宅捜索に入った。7時58分、「今、捜索しているが、状況によっては児童の保護をお願いすることになるかもしれないので、よろしくお願いします」と児童相談所に電話で連絡。この瞬間から、山梨県中央児相の職員にとって長い1日が始まった。

一時保護については事前に、次のような法的整理がされていた。すなわち、「保護者のない児童又は保護者に監護させることが不適当であると認める児童を発見した者は、これを福祉事務所又は児童相談所に通告しなければならない」という児童福祉法第25条(当時)に基づき、警察官が山梨県中央児童相談所にオウムの子を通告。

その後、所長が「児童に一時保護を加え、又は適当な者に委託して、一時保護を加えさせることができる」という第33条を根拠に、警察に保護を委託する――という手続きが取られることになっていた。このため、児相側と警察側は綿密に連絡を取り合う必要があったのだ。

10時30分、警察は第10サティアンの2階部分の捜索を開始。同31分には、子どもたちを発見し、「世話人」と名乗る大人の信者に聴取を開始している。

同41分には、「氏名はわからないが、小学生くらいの約60人の要保護児童が施設内にいる。中には一見して体の弱った者がいるので緊急に一時保護したい」と、連絡が入った。ただちに、児相の矢崎司朗所長は一時保護を決定。現場の警察官に一時保護を委託した。