“苦痛”から“やりがい”に変わった仕事

妻が乳がんの宣告を受けたとき、とにかくお金を稼がなければ、という危機感に襲われました。お金がなければ、満足のいくサポートができないだけでなく、闘病する妻の人生を潤すこともできない、と強く思ったのです。また、わが家の将来のことを考えると、不安で仕方がありませんでした。

お金を稼がなければ、という強い気持ちはあるものの、かつて感じたことのない危機感や不安感のあまりの大きさから、ダメ夫である私は、仕事が苦痛で仕方がありませんでした。勤め人なら出世をあきらめ、閑職への異動願いをしていた、とナメたことを考えることもしばしばでした。このような状態だったため、仕事運が上がることはなく、もちろん金運が上がるなんてことも、夢のまた夢といった状況が続いたのです。

心を入れ替え、前向きに自分に鞭を打って仕事に取り組むようになって、チャンスには恵まれるようになりましたが、それでも金運はついてきませんでした。わが家には貧乏神が住んでいるのか? もしかしたら私は前世でとんでもない罪を犯し、その報いを現世で受けているのか? と怖くなるくらいでした。このように大げさで小心、屈折したところのある私は、馬鹿なことを真剣に悩み続ける不毛な日々を送っていたのです。

心身ともに追い詰められた私は、仕事ができる状態ではありませんでした。本来の力を発揮するのに、かなり苦労するほどのスランプに陥ったのです。ここまでくると、イヤでも「廃業」の二文字がチラつきます。といっても、ほかにできることが、私にはありません。

ただ、極限まで追い詰められると、必死になって仕事に楽しみを見出そうとする習慣がつきます。そうでもしなければ、やっていられないからです。私の場合、これが一筋の光となりました。このような姿勢で仕事をするようになると、仕事を依頼してもらえると、心から感謝するようになります。ちょっとしたメールを送るにしても、心を込めて書くようになります。

こうなると、仕事をするにしても、私の手帳の表紙裏に貼っているコヴィーの「7つの習慣」である「前向きである」「物事に着手する時点で、最終状況を思い描く」「やるべきことからとりかかる」「全員が勝者となるような解決策を考える」「相手から理解される前に相手を理解しようと努める」「相乗効果を生み出そうとしている」「切磋琢磨している」を意識するようになります。

すると不思議なことに、あれほど苦痛だった仕事にやりがいを見出せるようになり、「自分のやりたい仕事」「意義のある仕事」を求めるまでになったのです。ひいては自分を救うことにもつながりました。このコラムの連載も、意義のある仕事がしたい! と強く思って企画を提案し、実現した仕事の1つです。まだまだ金運がついてきたとはいえませんが、いい方向に仕事に対する姿勢が激変したのは、純粋にはよろこべませんが、キャンサーギフトのおかげだと思っています。

【関連記事】
なぜ、むやみに“がん”を恐れる必要がないのか
がん患者の家族だからこそすべきこと
鳥越俊太郎「4度のがん手術を支えた『方丈記』の死生観」
「がんからの生還者」から学ぶ「治る人」の共通点
「がんと一生つきあって生きる」という意味