トップの決定でも現場で再確認する

1998年5月、埼玉県の中部にあるあさひ銀行(現・埼玉りそな銀行)鶴ヶ島支店の支店長になった。個人取引が中心の支店で、何もかもが新鮮だった。

りそなホールディングス社長 東 和浩氏

前年秋、北海道拓殖銀行が不良債権を処理しきれず、山一証券は損失隠しが発覚し、続けて経営破綻した。「金融危機の到来」と騒がれるなか、本部の総合企画部で不良債権処理の計画に携わり、3月には大手銀行各行への公的資金の注入が始まった。あさひにも、1000億円が入る。その処理を終えて、新天地に赴いた。41歳になったばかりのときだ。

着任してみると、けっこう企業向けの融資もあり、焦げ付きもある。担保を差し押さえにいき、夜逃げをされないように家の前に張り込む。当時、多くの銀行員が経験したことに、自分も出遭う。3カ月後、東海銀行(現・三菱東京UFJ銀行)との経営統合が発表された。東京や埼玉に基盤を持つ自行と、中京地区で主導権を持つ東海との合体で、地域的補完を武器に体力を強化しよう、との狙いだ。「おお、また大変だな」と驚いたが、自分とは関係ない。そう思っていたら、違った。

翌99年春、再び公的資金の注入があり、今度はあさひへの額は5000億円に上った。だが、問題は、まだ終わらない。鶴ヶ島で2度目の秋を迎えると、企画部へ呼び戻され、東海との交渉チームを率いる副部長に就く。

ところが、交渉は思わぬ展開となる。三和銀行(現・三菱東京UFJ銀行)が参加を表明し、3行による統合となり、対等だった協議が歪み始めた。結局、あさひは2000年、交渉から離脱する。残る2行は統合へ進み、大手銀行の再編が続くなか、生き残り策を練った。一方、頭取らは、水面下で新たな統合相手を探す。