チームを強くした上司の転職事件
20世紀が終わるころ、東京支社で、都内の居酒屋などに酒類を卸す業務用大手酒販店を担当する課長だったときだ。ときどき、担当者が運転して得意先回りに出る車の助手席に、ふらっと乗り込んだ。「今日は一緒にいくぞ」と言うだけで、車中で何かを話しかけるわけでもない。担当者の愚痴を聞きながら、黙っていた。
得意先に着いても、口は最低限しか開かない。自分が話したほうがうまくいくと思っても、担当者に任せる。同行の目的は、何げなく部下たちの不満やアイデアを聞くためと、現場の実情をつかむためだったからだ。課には5、6人の外回りがいたが、誰かに限って同乗したわけではない。全員と、分け隔てなく接した。
そんな「話すよりも聞く」という手法を、2001年秋、大きく揺るがす事件が起きた。上司の部長が突然、退職し、得意先の社長の右腕に転じたのだ。びっくりしたが、他の取引先はもっと驚き、怒った。「われわれの手の内を知っている人間が、競争相手のところにいくとは何だ」と猛反発し、「もうキリンは扱わない」というムードが広がる。そんななか、退職した部長の後任を託された。41歳のときだ。
猛烈な逆風が吹きつけた。部下たちは不安を口にし、本当は自分も滅入ったが、そんな素振りはみせない。「明けない夜はない、時間が必ず解決してくれる」と繰り返し、同行営業も続けた。いけば怒りの矛先は、こちらへ向かう。徹底的にやられて格好は悪いが、意識してそういう場面を部下にみせた。担当者の辛さを少しでも軽減し、思いを共有したかった。
そんな状況下、1954年以来維持してきたビールの国内シェア首位の座を、わずかの差で、競争会社に奪われた。事件がどこまで影響したかはわからないが、辛い時期だった。でも、2年もたつと厳しい空気は薄まり、酒販店のほうから「もう、いいじゃないか」との声を出してくれた。