武田豊樹(競輪2014年最優秀選手)
ここに才能がある。努力がある。勇気がある。そして、ここには不屈の闘志もある。
41歳の武田豊樹。紆余曲折の2014年シーズンを経て、競輪の年間最優秀選手(MVP)に輝いた。
東京都内のホテルで開かれた祝賀会の席上だった。記念撮影、サイン攻めに遭うMVPを、やっと、つかまえた。「闘うモチベーションは?」と聞いた。
ペンを持つ手を止め、こちらの目を見て、背筋を伸ばした。武田は言った。
「ぼくは、競輪というスポーツに出会えて、よかったんですよ。目標とか、夢とか、持てるようになったので。もう、とことんやり抜こうという気持ちになっているんです」
昨年は、選手会脱会騒動のために5月から3カ月の自粛休場を余儀なくされた。でも、復帰直後の9月のオールスター競輪を制すると、勝ちまくり、年末の総決算であるKEIRINグランプリで初優勝を遂げた。
自粛休場中、よほど厳しいトレーニングを積んでいたのだろう。休場期間があったというのに、昨年は39勝(優勝10回)し、獲得賞金では2億2000万円を突破した。
この安定感はどうだ。もはや自分のためだけでなく、家族のため、ファンのため、走り続けている。モットーは?と聞けば、少し考え、「あきらめないこと」と言った。
「もう、とにかく、あきらめずにやるということですね。最後の最後まで」
人生でもしかり、である。北海道斜里郡斜里町出身。高校時代はスピードスケートの選手として活躍したが、実業団では伸び悩んだ。競輪の道を目指すも失敗。その後、橋本聖子さんの秘書をしていたこともあったが、再び、スピードスケートに打ちこみ始めた。
そんな時、武田を初めて取材した。たしかアメリカの地方のスケート場のワールドカップで優勝した時だった。「謙虚な選手だな」というのが第一印象だった。2002年ソルトレークシティー五輪では500mで8位と健闘した。
競輪選手の夢を捨てきれなかったのだろう。直後、競輪に再チェレンジし、新人として最年長の29歳で競輪選手デビューした。2007年7月4日の立川競輪場。こちらが生まれて初めて車券を買ったら、武田は見事に勝ってくれた。初出走初勝利だった。
「人生、まさかの坂の連続」と言うのである。だから、コツコツと努力を続け、歯を食いしばって、ペダルをこぎ続けるのである。
MVPの印象を聞けば、武田らしいというか、淡々としたものだった。
「なかなか、これ(MVP)はもらえないので。でも、もう今年の戦いが始まっていますから、喜んでもいられません」
ジャン(打鐘)が鳴る。武田がもがく。自身の境遇に最善を尽くす人生。最後の最後まで、あきらめない。