滝澤正光
(日本競輪学校校長)

滝澤正光さん。2010年、選手出身者初の日本競輪学校校長に就任した。

卒業式のシーズンである。3月、伊豆・修善寺の日本競輪学校を訪ねた。校長が、51歳の滝澤正光。風を切って走り続けて、2008年、787勝(S級通算651勝は歴代最多)で引退した、伝説の競輪選手である。競輪界随一の人格者、で通る。

プロの競輪選手になるためには、必ず、この学校で1年間、修業のごとき、猛訓練と厳しい生活をしなければならない。ことしは復活女子競輪の第一期生も入ったため、メディアの注目度も高かった。元スピードスケート五輪代表の渡辺ゆかり選手や、元ホッケー五輪代表の岡村育子選手ら、他競技からの転向者も数多く挑戦した。

窓外に白梅と紅梅が咲き誇る校舎の部屋で、滝澤校長に卒業生たちに『贈る言葉』を聞いた。競輪は、「走るプロ」と「カネをかけるプロ」の真剣勝負である。当然、車券を買うファンの目はシビアになる。予想した選手が勝てば、称賛を投げかけようが、負ければ、辛辣なヤジを飛ばすことになる。

滝澤校長には心に残る言葉がある。今から25年前の1987年、全盛期の27歳の時だった。S級戦16連勝の記録をつくる。うちふたつは特別競輪(現在のG1)だった。9月のオールスター競輪(宇都宮)も完勝だった。表彰式。花束を高々と掲げると、だみ声が飛んできた。「いいぞ、親孝行!」と。

滝澤校長の、眉間のしわが消える。その瞬間を思い出すことがうれしいのだろう。
「あの言葉は心に染みました。いまでも映像と一緒に覚えています。言った方の真意はわかりませんが、わたしは単純に自分ががんばったことで親孝行できたんじゃないか、そう言われたと理解したのです」

滝澤校長は、若い頃から、父の乗るオートバイの誘導で街道練習に明け暮れた。自分が強くなって、日本一になることが、その恩返しと思っていた。つまりは、親孝行になると信じていたのだ。

おそらく、自分で親孝行したい、と言うのと、ファンから親孝行だな、と声をかけられるのはニュアンスが違うだろう。言われる方が、重い。ファンに認められた証拠だと思う。

そこで滝澤校長はプロデビューしていく若者に期待をかけるのだ。ファンが納得する走りをしてほしい。ファンに愛される選手になってほしい。「親孝行!」と声をかけてもらえる選手になってほしい、と。

(小倉和徳=撮影)