高橋善幸(釜石シーウェイブス[SW]ゼネラルマネジャー)
あの日から1年が過ぎた日。被災地の岩手県釜石市のラグビークラブチーム、釜石シーウェイブス(SW)の高橋善幸ゼネラルマネジャー(GM)と話をした。
高橋GMは岩手県花巻市出身。明治大学ラグビー部では名FWとして鳴らした。恩師が故・北島忠治監督で、モットーである『前へ』の精神をたたきこまれた。高橋GMによれば、“前へ”とは、逃げるな、あきらめるな、と同義であるという。
卒業後、釜石SWの前身、新日鉄釜石製鉄所に入社した。あのV7を果たした「北の鉄人」、新日鉄釜石ラグビー部である。不況による合理化の波を受け、2001年、地元密着のクラブチームの釜石SWへとカタチを変えた。震災で、そのクラブチームのありようが問われた1年だった。
「復興の光」になろうと、選手たちは奮闘努力した。震災直後はボランティア活動に取り組んだ。市民たちに背を押される格好で、5月、やっと練習を再開した。トップイーストリーグでは5勝3敗の4位に終わり、念願のトップリーグ(TL)昇格は成らなかった。気力充実も強豪との戦力差が大きかった。
主将の佐伯悠は言った。「ガムシャラにやった1年だった。でも何かがたりなかった。勝てなかったのは悔しい。ほんとうに死ぬ気でもがいて練習して、やっといけるのがトップリーグだと思う」と。
高橋GMは佐伯主将ら部員を集め、「一歩ずつ、前へ、進めばいいのだ」と諭した。
「あと少し、トップリーグに届かなかった。じつは、その少しが非常に遠いのだと思う。でもあきらめず、自分たちが一歩ずつ、ひとつずつ、前に進んでいけばいいのです。そうすれば、チャンスは必ずやってくる」
被災地の市民たちは、悲しく辛く、重い試練に立ち向かっている。それこそ、一歩ずつ、前に進んでいる。ならば、自分たちも市民と共に前に進んでいこうではないか。
高橋GMは、ラグビーのスクラムを持ち出し、釜石市民をFWに、釜石SWをその中のFW第一列に例えた。
「いわばゴール前、100人、1000人、何万人もの市民と一緒にスクラムを組んでいるようなもの。僕らは後ろから押してもらっているのだから、まず姿勢を崩さないようにしたい。そうやって一歩ずつ、前へ、進んでいく。後ろの押しを前に伝えるため、クラブのありよう、考え方、取り組み方など、ぶれないよう、しっかりした姿勢で一緒に歩んでいきたい」
一歩ずつ、前へ。自覚と覚悟を持とうというのである。