堀江翔太(パナソニック・ラグビー部主将)
ラグビーのトップリーグ・プレーオフトーナメントの優勝会見が終わった時だった。「ちょっと、いいですか」とパナソニック主将の堀江翔太が自ら切り出した。いつも自然体。
「ことしのスーパーラグビーをあきらめようと思っています。まず理由から、説明します。首の調子が悪いんです」
座り直した記者たちがざわついた。2月1日の決勝戦の後の秩父宮ラグビー場の会見場。ワールドクラスのプレーでヤマハを圧倒し、パナソニックを2連覇に貢献したというのに、その顔から笑顔は消えていた。
堀江主将は国内シーズン後、南半球3カ国(豪州、南アフリカ、ニュージーランド)で開催される世界最高峰のスーパーラグビーの「メルボルン・レベルズ」(豪州)に参加する予定だった。今年が3年目となる。
「まあ、ぎりぎりまで迷っていたんですけど、この間の準決勝(1月25日)でまたやってしまい、(病院に)検査しにいったら、よくないということでした」
そういって、汚れた青いジャージ姿の堀江主将は左手を開いてみせた。テーピングテープ跡の残る指は完全に伸び切ることができない。じつは首の神経を痛め、左手の指がしびれているのだった。苦笑いをうかべる。
「症状として、“パー”ができないんです。小指、くすり指、人差し指が下がった感じで、パスもとれない状態なんです。テーピングで無理して、やっている感じでした。握力も随分、落ちています」
本人の説明によると、できるだけ早く、首の手術に踏み切るそうだ。当然、このあとの日本選手権は参加できず、「順調にいけば3カ月間」のリハビリテーションで復帰できる見通しという。9月開幕のラグビーのワールドカップ(W杯=イングランド)に間に合わせるためだった。
前回の2011年W杯で、日本代表は3敗1分けの白星なしに終わった。堀江は言う。
「負けた悔しさを忘れることができない。それを晴らすため、ことしはワールドカップに懸けたいのです。そう結論を下しました」
レベルズのチームメイトの名前を次々に並べ、コトバにはスーパーラグビーの不参加の無念さをにじませた。『勇気なくして栄光なし』がモットーである。大阪出身。いつもチャレンジングな人生を歩んできた。
「リセットして、ワールドカップに臨みたい。すべてポジティブにとらえて」
強い男である。心優しきガッツの塊でもある。日本代表のキャップ(国別対抗戦出場数)が「32」を数える。いまや日本代表には欠かせぬ存在である。
大阪・島本高校から帝京大に進んだ。大学卒業後、ニュージーランドにラグビー留学し、ナンバー8からフッカーにポジションを替えた。成長の要因は、挑戦心とどん欲さ、独特の柔軟性だろう。
試合中も、冷静さを失うことはそう、ない。この日の決勝戦も、堀江主将は巧みなスクラムワークと激しいランを見せ、チームを引っ張った。チーメイトを信じ、また、周りから絶大なる信頼を得ている。
「(試合中)慌てることはなかった。相手をしっかり見て、アジャストできたかなと思います。ことしの(優勝の)方が重圧もあった分、うれしかったかなと思います」
名将ロビー・ディーンズ監督から、「ショウタ(堀江)の偉大なキャプテンシーがあったから優勝できた」と褒められると、堀江はしきりに照れた。
「僕は偉そうにしたりとかできない。キャプテンってすごく苦手なんです。ただ、(試合に)出られない選手への気配りはしています。目線はみんなと一緒です」
キャプテンの強さとはつまり、人間力であろう。己のスタイルを変えない29歳。けがの試練を乗り越え、静かにW杯でのリベンジに燃えるのである。