山賀敦之(セコム・ラグビー部)
ラグビー界随一のエンターテイナーは健在である。もう40歳。「ザ・プロップ」の異名をとる山賀敦之は腰を痛め、「引退」の二文字もちらつき始めた。でも、まだ現役。
15日のトップイーストのセコム×東京ガス戦は“ドクターストップ”がかかり、雑用係を買って出た。駒沢陸上競技場。試合前、ファンの受け付けテントを張りながらも、笑顔を振りまく。決して落ち込むことはない。
「(つい間板)ヘルニアの神経障害がひどくて……。ふつうの私生活でも足がしびれることがあります。オペをやらないと治らないようなので、正直、厳しい状況です。引退? 検討中です」
悪いことは重なるもので、10月下旬、40度の高熱を出して、1週間、入院した。ノドの急性扁桃腺(へんとうせん)炎だった。ただ勤務先のセコム本社が渋谷・神宮前にあったこともあって、「まじめな話、デング熱かと思った」そうだ。
「病院で40歳の誕生日(10月30日)を迎えました。ええ、なかなかないことでしょ。これはやばい、厄年のせいだと思って、退院してすぐ、(神社に)厄払いをしたいって電話をかけました」
山賀はいたって真剣である。ひたいに大粒の汗をかきながら、手振り身振りで、自身の災難を説明するのだ。誠実で朗らかな性格で、誰からも愛される人気者。つらいストーリーなのに、なぜだろう、軽妙な語り口のせいか、こちらが愉快な気分になってしまう。
埼玉県出身。ラグビー一筋に生きてきた。帝京大ラグビー部では一番下の7番目のチームからレギュラーにはい上がり、セコムでもスクラムを支えてきた。スクラムが滅法強く、準日本代表の「日本A代表」に選ばれたこともある。172cm、105kg。ユーモラスな体型で、いつもぴちぴちのラグビーパンツをはいて試合をする。
ラグビー専門誌の選手名鑑では写真撮影にこだわり、花を耳にさしたり、妙な顔をつくったりの「変顔」で一世を風靡した。
つらい時も笑って、乗り越えてきた。好きなコトバを聞けば、「小学校3年生のとき、こんな標語をつくって、家の壁にずっとはっていました」という。どんなコトバを?
「“先生におこられても、くじけるな”って。ははは。ラグビーでも、仕事でも、ミスや失敗はいっぱいやります。でも、その日だけで忘れるというか、ひきずらないようにしています。バカなのかわからないけれど、僕は落ち込んだことはないです、ほんと」
今も忘れられない2009年2月10日、会社のラグビー部強化が中止された。特別待遇は消え、環境は厳しくなった。それでも、山賀はラグビー部を辞めなかった。ラグビーが大好きだったからである。
「その時は、“ふざけるなよ”と思ったけれど、今思うと、いい経験をさせてもらいました。環境が変わって、感謝の気持ちがより生まれました。何事も自分たちでやるようになりました」
珍しく、真顔になる。が、すぐにパッと笑って、「すごくいい糧になりました」とコトバを足した。2012年4月に結婚。モットーが「明るく元気に」なのだ。
「くよくよしたって、何も始まらない。ポジティブが一番です。朝、会社に行ったら、大きな声で“おはようございます”。電話に出たら、“はいっ! セコム営業の山賀です”って、明るく元気に言うのです」
どうして、どうして。ひょっとして、スクラムだけでなく、“山ちゃん”は人生の達人かもしれない。