冨岡鉄平(東芝ラグビー部ヘッドコーチ)

とみおか・てっぺい●1977年、福岡県出身。中村学園三陽高校を経て福岡工業大学に進学。2000年に同大学を卒業後、東芝に入社しラグビー部で活躍する。現役時代のポジションはCTB。主将を務めていた04年、06年、07年には日本選手権を制覇。07年にはシーズンMVPを獲得した。日本代表も経験し、キャップ数は2。11年に現役を引退。中国電力の監督を経て、14年4月より現職。

テッペイは男の中の男である。現役時代、センターとしてからだを張って、チームの勝利に貢献した。義理、人情、人間力……。ヘッドコーチになっても、そのオーラは変わらず、コトバには生命が宿るのである。

冨岡鉄平。名前の「鉄」という文字が、いかにも、という感じなのだ。強い意志。

ラグビーの国内最高峰、トップリーグの開幕戦で、冨岡新ヘッドコーチ(HC)率いる東芝は、昨季二冠のパナソニックを下した。

冨岡新HCは悠然と口をひらく。

「きょうの試合、負けるようであれば、ことしのチャンピオンシップ(優勝)はないという気持ちでした。勝因は、エナジーとパッション(情熱)です。どちらが、いい準備をして、どちらが、勝利にふわさわしいか、それを示すことができました」

もちろん、トップレベルの試合ではチーム戦術、個々の技術、フィジカルが勝敗を左右する。でも、戦う者の「人格」「覚悟」なくして、勝利をたぐり寄せることはできない。それがラグビー。「チームの強さは人間力」。かつて、そう口にしたことがある。

古びたコトバながら、「雑草」の部類に属するだろう。福岡県生まれ。10歳のとき、ラグビースクールで楕円球に触れ、無名の中村三陽高校、福岡工業大学を経て、東芝府中(現東芝)に入った。コツコツと努力し、レギュラーの座をつかみ、カリスマ主将として、賜杯をなんども持ちあげた。

日本代表にも選ばれた。やはり、人間ができないとラグビー選手は育たない、とつくづく思うのである。2011年、現役引退。2年間、トップリーグの下部リーグの中国電力で監督をつとめた。

「中電にいって、いきなりトップリーグを目指すのは夢のまた夢でした。運命で集まった選手たちが、これからの人生をどう豊かに過ごすかをテーマにしました」

いちど、東芝を離れたことで、冨岡新HCは変わったそうだ。笑いながら説明する。

「あのまま東芝の指導者をしていたら、大変なことになりました。ぼくは中電にいって、福工大出身の無名の“ただの人”だったんだなってすごく感じることができたのです。自分の足元を固めて帰ってこられて、中電の人には感謝しています」

謙虚である。が、ポジティブ、どん欲でもある。ことしのゴールデンウィークの2週間余、オーストラリアのクラブチーム「ワラターズ」にコーチ留学した。

「練習もぜんぶ、出たし、1対1のミーティングも見ました。オンとオフの使い分けがしっかりしていて、好きなタイプのチームでした。監督は細かいことを言わず、高額年俸の選手たちを一本にする。ええ、勝つ雰囲気はありました」

ワラターズは8月、世界最高峰のスーパーラグビーで初優勝を遂げた。冨岡新HCはまだ37歳。指導者としては発展途上である。

東芝は昨季、無冠に終わった。今季のチームスローガンが『for you』。

「フォー・オールではなく、フォー・ユーにしたのは、対象をしっかりと意識していこうと考えたからです。それが大きくなれば、フォー・オールになります。ラグビーを大事に思ってくれている人のため、あるいは対戦相手のファンのためかもしれません」

チームに自信が芽生えれば、優勝ロードのストーリーも鮮明にみえてくる。冨岡新HCの目に覇気がただようのだ。

「自分たちの選手がピッチに立ったとき、なぜ勝つかというストーリーが書けなかったら、それは勝てないですよ。勝とうが、負けようが、東芝のプライドとアイデンティティを示し続けます。それを続けることで、いろんなストーリーができてくるでしょう」

さあ、どんな東芝の痛快劇が展開されるのか。テッペイの登場が、トップリーグに多大な刺激を与えるのは確かである。

(高見博樹(T&t)=撮影)
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