平林泰三(プロ・ラグビーレフリー)
この好感度はどうだろう。春の太陽のもと、生気に満ちたスマイルがこぼれる。3月某日の秩父宮ラグビー場。選手でもないのに、観戦客からサインを求められるのだ。
平林泰三。愛称が「タイゾー」。日本でトップクラスの日本ラグビー協会公認A級レフリーの資格を持ち、アジア初のフルタイムレフリーとして活動する。つまりプロ。
タイゾーの笑顔はやさしい。が、その顔で判定はきびしい。グラウンド外でも、孤立をおそれず、言いたいことは言う。「ラグビーが盛り上がれば」と信じているからだ。
使命は3つ。(1)日本人レフリーとして国際ラグビー界に風穴をあけていくこと。現役レフリーとして、ティア1(世界ランキング10位までの国・協会)にチャレンジしていくこと。(2)ジャパンを強くしていくこと。トップ10に入れるよう、強化に貢献すること。(3)全国のレフリーの育成・普及に刺激を与えていくこと――である。
「僕は昔の審判というイメージを払しょくしたいのです」と、タイゾーは語気を強めた。
「今のレフリーはよりアスリート化して、よりゲームのことを理解していると思います。ラグビーレフリーとしての価値をしっかり築いていきたい。1つひとつの現象をジャッジメントする機械的な作業ではなく、よりゲームを感じながら、80分間の中で選手を成長させていくような“ゲーム・レフリー”になりたいのです」
ラグビーの試合を「音楽会」に例えると、レフリーは「バックコーラス」のような存在かな、と38歳は少し笑った。
「メインボーカルがスターの選手たちです。ぼくはリズムよく、合いの手をいれるバックコーラスです」
宮崎県出身。父がラグビースクールのコーチをしていたこともあり、5歳の時からラグビーを始めた。テレビの「欧州五カ国対抗」に心を奪われ、「いずれは自分も国際舞台で」と夢を抱いた。
でも現実は厳しい。宮崎大宮高校で「花園」(全国高校ラグビー大会)出場の道が途絶え、レフリーの勉強を始めた。地元の宮崎産業経営大学に進み、3年の時、オーストラリアのクインズランド州に“ラグビー留学”した。プレーヤーとしても活躍した。
帰国後、レフリーの道をまい進し、2003年に日本IBMとプロレフリーとして契約した。05年には日本協会公認A1レフリーとなり、「フルタイムレフリー宣言」を行う。06年、公認A級に昇格した。
タッチジャッジを含めると、年に100試合ほど、レフリーをつとめる。週に3日以上、1時間のスプリント練習などに打ち込む。時間を見つけては海外研修に挑み、自己鍛錬を怠らない。「Be you(自分らしくあれ)!」をモットーとする。
「自分らしくとは、感受性があって、敏感で…。選手がやりたいことをやらせよう、そんな気持ちを強く持ってないとダメだと思います。コミュニケーションでは言わないということが一番ですが、(言う時は)ポジティブに、具体的に言うことが大事です」
トップレフリーとしての喜びは、「歴史の瞬間」に立ち合えることだという。目標は「世界一のゲーム・レフリーになること」である。「ベスト・レフリー」「ナンバーワン」とは意味合いが違う。
「僕はゲーム・レフリーとして、世界で一番ゲームを理解して、選手が達成したいプレーを理解して、選手たちに1つでも多く、いいプレーしてもらいたいんです」
妻との間に9歳の男の子と6歳の女の子がいる。世界一のゲーム・レフリーを目指して“タイゾー”が疾走する。日本ラグビー界のレベルアップは、こういったレフリーの真摯な姿勢とも無関係ではあるまい。