太田拓弥(ヤマハ発動機ラグビー部レスリング担当コーチ)
遠くからでも、その迫力はすぐ分かる。するどい眼光。つぶれた耳。秩父宮ラグビー場の薄暗い通路でも、太田拓弥の存在感は際立っていた。やわらかい口調でつぶやく。
「あきらめるな。ネバー・ギブ・アップ。練習ではよく、そう言っています」
太田はレスリングの五輪メダリストである。1996年アトランタ五輪のフリースタイル74kg級で銅メダルを獲得し、日本レスリングのメダルゼロの危機を救った。
土壇場につよい。あれから18年。早稲田大学レスリング部のヘッドコーチをしながら、ヤマハ発動機ラグビー部の「レスリング担当コーチ」を務めている。2011年、ラグビー部の清宮克幸監督から請われたからだ。
異例である。が、その指導もあって、ヤマハ選手のからだは着実にたくましくなってきた。トップリーグでは11年度から「8位」「6位」「5位」と順位も上がってきた。
だいたい週に3日、朝6時から、レスリングのマットの上でラグビー部員を鍛えている。やるのはレスリングの稽古。体幹、筋力をアップさせ、アジリティ(瞬発力)を磨いている。効果は出た。ブレイクダウン(タックル後のボール争奪戦)は間違いなく、強く、はやく、粘り強くなっている。
「(就任当初)清宮さんからは、“日本一のアジリティがあって、倒れたらすぐ起き上がる、グラウンドには寝ていない選手をつくってくれ”と言われました。からだが低くなる動作をとったり、タックルしたあとにすぐ立ち上がったりすることは無意識のうちにできるようになったと思います」
でも、なかなか劇的にはチーム力アップとはいかない。「確実に一歩一歩、階段を上がっているな」と太田は感じている。
ヤマハは2月16日の日本選手権1回戦で早稲田大学に圧勝しながらも、2トライを許した。オリンピックのメダリストならではのプライドが頭をもたげる。
「もしレスリングの試合だったら、大学生には1点でもやりたくないですね。1点でもとられたら、クソっとなる。1点でもとられたら、選手同士が“何やってんだよ”と言い合えるようになった時、ヤマハが日本一になれるんじゃないですか」
23日の準々決勝では神戸製鋼に最後の最後に逆転を許し、ベスト4進出を逃した。あと少し……。オリンピックの表彰台に立った44歳は、この「あと少し」の大きさを肌で知っている。だから、「あきらめるな」「耐えろ」と言い続けるのだ。
和歌山県新宮市出身。青春をレスリングに捧げ、日本のトップに躍り出た。94年広島アジア大会ではフリースタイル74kg級で銀メダルを獲得した。
指導者としては、低迷していた早稲田大学レスリング部を復活させ、ヤマハの「レスリング担当コーチ」として手腕を発揮する。
「勝負魂」は、どの競技にも共通する。閉幕したソチ五輪の話題となれば、フィギュアスケート男子で金メダルを獲得した羽生結弦の「向上心」をほめた。
「金メダルをとっても満足していない。そこがすごい。芸術系の競技はよくわかりませんけれど、まだ成長するなと感じました」
さらにはジャンプ個人銀メダルの41歳の葛西紀明。「金メダルをあきらめない」と言った葛西への同世代ゆえの共感だろう、「よく頑張っているナ」としみじみと漏らす。
夢は。
「レスリングは2020年東京オリンピックのメダル。僕は銅メダルで終わっているので、金メダリストを育てたい。ラグビーではヤマハのトップリーグ優勝、日本選手権優勝です。指導した選手が、ラグビーの2019年ワールドカップ(日本開催)の日本代表にもなってほしい」
そして、誇り高きレスリング担当コーチはつぶやくのだ。
「あきらめるな。人生、あきらめるな。あきらめなければなんとかなる」