羽生結弦(ソチ五輪フィギュアスケート男子シングル金メダリスト)
時の人である。美しい演技でファンを魅了し、ソチ五輪のフィギュアスケート・男子シングルでは日本人男子初の金メダルに輝いた。
驚嘆すべきは、その向上心だろう。帰国会見では、涼やかな表情でこう、言った。
「金メダルは非常に誇らしく思っています。ただ僕自身、演技の内容に満足しているわけじゃありません。もっと強いスケーターになりたい。これからオリンピック・チャンピオンという肩書きを背負っていけるぐらい、強い人になりたいなと思います」
あっぱれな19歳である。浮かれたところは少しもない。謙虚に、素直に、記者の質問に応える。「日本に帰って何をしたいか?」という問いには、少し微笑み、困った顔付きをつくった。
「何をしたいかというと、とくにはないです。ただ、どちらかといえば、早く練習して、世界選手権(3月)に向けて、一生懸命やりたいなと思っています」
ソチ五輪のショートプログラム(SP)でほぼ完ぺきな演技を見せた。フリーでは転倒したが、ライバルのパトリック・チャン(カナダ)をかわした。金メダルにも「うれしさ半分、悔しさ半分。満足していない」と言ったのだった。
仙台市出身。2011年3月11日、地元仙台市のスケートリンクで練習中に東日本大震災にあい、リンクは壊れて営業停止となった。自宅も被害を受け、避難所で数日、過ごした。かつて師事したコーチがいる横浜のスケートリンクを仮の拠点とし、練習を再開した。この震災体験が、羽生選手をよりたくましくさせたにちがいない。
つねに被災地の人々のことを忘れない。とくに地元の支援や声援に感謝する。会見で報奨金の使い道を聞かれると、羽生選手は即答した。
「震災(で被害にあった人)の方への寄付や、フィギュアスケートのリンクへの寄付に使おうかなと今の段階では思っています」
子どもの頃からあこがれていたエフゲニー・プルシェンコ(ロシア)選手がソチ五輪大会中に引退を発表し、そのプルシェンコから「私のアイドルだ」と言われた。フィギュアスケートの新たな時代の到来である。
4年後の平昌(ピョンチャン=韓国)五輪で2連覇は? という気の早い質問がでると、羽生選手はまっすぐ前を見つめ、しっかりと話した。
「現役は続行したいと思いますが、ピョンチャンオリンピックでの2連覇とかそういうことはあまり考えずに、日々精進していきたい。目の前の世界選手権で金メダルをとれるよう、オリンピック・チャンピオンとしてふさわしい人間になれたらいいなと思います」
切れ長の目の若者が肩に力をいれるでもなく、静かな口調でそう、話す。この覚悟、この使命感。「羽生時代」のはじまりである。