平野歩夢(ソチ五輪スノーボード・ハーフパイプ銀メダリスト)
15歳とは思えない、落ち着きぶりである。ソチ五輪からの帰国会見。約300人のメディアを前にして、平野歩夢(あゆむ)は気負わず、淡々とした口調で話した。
「応援、ありがとうございました。史上最年少メダリストという、歴史に(名前が)残りそうな成績を出すことができました。こんご、自信になると思います」
いまや『時の人』だ。ソチ五輪では、スノーボードのハーフパイプで、物おじしないダイナミックな滑りで銀メダルを獲得した。冬季五輪としては、日本人最年少のメダリストとなった。
初挑戦の五輪の舞台も、とくに緊張はしなかったそうだ。むしろ、独特の空気を楽しんだ。オリンピックはどんな大会だったのか? と聞かれれば、平野は少し、はにかんだ。
「いままでやってきた大会と比べたら、オリンピックという雰囲気でした。(会場の)周りには、いろんな国旗を持っている人や家族、応援してくれている人がいっぱいいた。ほかの選手たちを見たら、指定されたウエアを着て、“らしく”ない選手とかもいました。ああ、オリンピックだなって」
新潟県の村上市出身。じつは新潟県勢としては、冬季五輪で第一号(今大会一挙3人がメダル獲得)のメダリストともなった。
「やっぱ新潟県で生まれ育って、いろんな人が支えて応援してくれました。メダルがとれて、(地元に)少しでも夢を与えられたのかな、と思います」
平野は4歳の時、地元でスケートパークを営む父のもと、兄の影響でスノーボードをはじめた。小学校4年生でスノーボードの世界的なトップブランド『バートン』とプロ契約を結び、海外のジュニア大会にも出場してきた。つまり、非凡な才能は小学生の頃から光り輝いていたことになる。
2013年1月には世界最高峰の賞金大会「冬季Xゲーム」で2位となった。快挙だった。ワールドカップ(W杯)では、昨年8月の初出場でいきなり優勝を果たしていた。実績も十分、あったのである。
帰国してからは、五輪メダリストとして、忙しい毎日が続いている。3月7日。新潟県村上市村上第一中学校の卒業式に出席した。その日もメディアの取材攻勢を受けた。
周りの対応が激変しても、15歳はとくに変わらない。歩夢は歩夢だ。ふだんは携帯ゲームに夢中になるフツーの若者である。
「オリンピックを目標に10年くらい(スノーボードを)やってきました。まだ取材対応とか忙しくて、疲れがとれていない状況です。これから新たな目標を見つけて、またがんばっていきたい」
新たな目標は4年後の平昌(ピョンチャン=韓国)五輪の金メダルか。15歳は自分のペースを変えず、焦らず、慌てず、チャレンジを続けていくのである。