ロンドンオリンピックで、日本が獲得した金メダルは7つ。そのうち女子レスリングが3つ、男子は1つと、金メダルの過半はレスリングから生まれた。その中でも、吉田沙保里選手はオリンピック3連覇、世界選手権11連覇を果たし前人未到の世界大会14連覇を達成。女子レスリングの立ち上げから現在まで発展に尽力してきた福田富昭さん(日本レスリング協会会長)は、その強さの秘訣は、最高の技術指導と、選手の精神修養に尽きると語る。
福田富昭
1941年、東京都生まれ。65年レスリング世界選手権優勝。日本レスリング協会会長。日本オリンピック委員会副会長。

――「おまえ、女にレスリングやらせる気か。スケベ野郎」。こんなひどいことを、女子レスリングがオリンピックの種目になると直感して委員会を設立しようとしたときに私は言われたんです。それは1983年のことでした。

「女子レスリング」という競技が存在するらしい。最初はイメージすら湧かず、実在しているとは信じられません。私自身、レスリング選手として65年の世界選手権で金メダルをとったことを最後に引退しましたが、レスリングはマットの上で汗にまみれ、体と体をぶつけあい、組み合って勝敗を決するスポーツ。男だけがやるもんだと思っていました。

すぐにパリへ飛んで、練習場に行くと女性が本当にレスリングをやっていた。調べると、フランスだけでなく北欧やベルギー、オランダなどでももう始まっている。女子レスリングがオリンピック種目となってからでは遅い。世界に先駆けて、日本も強化しなくてはと考えたのです。

帰国後、異論も多かったのですが、どうにかネジ込んで普及委員会の下に女子部を創設しました。85年フランス・クレルモンフェランで開催される初の女子国際大会に、なんとか出場できました。当時の日本に女子レスリングの選手はいません。日体大卒業で柔道3段の大島和子さんにお願いして、選手になってもらいました。

結果は惨敗。2試合合わせて数十秒も試合を続けることができず、主催者が「あまりにもかわいそう」だからと、私たちのためにもう1試合段取りしてもらう始末でした。

しかし、私は逆にここで闘志が湧いてきたんです。私は誓いました。選手を徹底的に鍛えあげ、3年で世界レベルに追いつき、5年で世界チャンピオンを育ててみせると。