全国から女子選手を集めました。当時、人気絶頂だった全日本女子プロレスにも頭を下げにいきました。オーディションの審査員に加えてもらって、不合格者のリストを手に入れ、「女子プロレスで活躍するためにも、君たちにはアマチュアレスリングの練習が必要だ」などと、半分騙しながらの勧誘もしました。それぐらい当時の女子レスリングは知名度がまったくなかった。
その執念が実ったのか、89年スイス・マルティニーで行われた第2回世界選手権では金メダル2個を獲得することができました。
世界で一番になるためには、最高の技術を持っているだけではダメです。最後は精神力。私は、女子レスリングの練習を恵まれた施設、恵まれた環境では絶対にしませんでした。極限まで選手を追い込んでいくためです。
91年、東京での女子世界選手権開催を勝ち取ったので、もっと強くしなければと新潟・十日町に専用の道場をつくりました。マスコミには「女子レス虎の穴」なんて書かれましたが、あまりのオンボロ廃校を目にした富山(英明、ロサンゼルスオリンピック金メダリスト)や赤石(光生、同オリンピック銀メダリスト)には「頭おかしくなったんじゃないですか」なんてバカにされました。
しかし、精神修養にはこの場所が適切だと信じ、私財をつぎ込んで市から払い下げてもらいました。安い食器を買いそろえたりして、なんとか寝泊まりができるようになりました。
なにしろ、携帯電話の電波も届かない。一番近いコンビニまで歩いて2~3時間。そんなところに押し込めたら、選手は練習するしかないと観念する。山の中を走らせたり、仲間をおんぶして坂道を駆け上がらせたり。基礎体力トレーニングというのは、選手にしてみれば一番イヤで、一番やりたがらない。でも、苦しいトレーニングは同時に精神のトレーニングにもなるんです。
合宿所前が一番の急坂です。「この坂を上りきれば、金メダルがつかめる」と、選手たちに言い聞かせる。あの急坂を「金メダル坂」と名づけました。