脳科学者 茂木健一郎さん

僕の人生には、これまでに大きな危機が2度あった。そのうちの1回についてはいまだに詳細を語ることができないのだけど、下手をすればこの国で生きていけなくなるほどの危機だった。

にっちもさっちもいかなくなった僕は、養老孟司先生にメールで救いを求めた。先生のお力を借りられれば、事態を打開できる可能性があったのだ。先生からの返信メールは、実に簡素なものだった。

「人生には1回や2回、もう死んじゃうのではないかと思うようなことがあるけれど、まあ、だいたい大丈夫」

僕はこの言葉を、いまだに忘れられずにいる。養老先生は日頃、人生だの生き方だのといった言葉をほとんど口になさらない。そういう方がおっしゃる「だいたい大丈夫」という言葉には、とてつもない重みがあった。さりげない言葉の裏側に、先生のそれまでの人生が透けて見えるようだった。

そして養老先生だけでなく、僕が脳科学の教えを受けた優れた先達も一様に、「多くを語らない」人々だった。それでも彼らは、能弁な人よりはるかに強いインパクトを僕に与えてくれたのである。

僕は科学者だから、何が人を救うかを冷静に観察しているところがある。「ある言葉が救いになった」という話はよく聞くけれど、多くの場合、言葉自体はあくまでも氷山の一角にすぎない。人は水面に頭を出している言葉ではなく、水面下にある大きな塊を想像することによって初めて救われる。水面下の塊とは、その言葉を発した人物が持っている「言葉にならない何か」としか言いようがない。

そういう意味で、僕のもうひとつの危機を救ってくれたのが、ブッダの「無記」という言葉だった。

僕は30代に小林秀雄の『私の人生観』を読んでいて、この「無記」という言葉に出合った。ちょうどその頃、僕は「クオリア(意識の質感)」という言葉を使い始めたことによって、学会から袋叩きの目に遭っていた。いまでこそクオリアは世界中で使われている言葉だけれど、当時、この言葉を使う科学者はまだ少なく、「茂木健一郎は科学者失格」などという激しい批判を浴びていたのだ。これは、僕の科学者としての人生における最大の危機だったと言っていい。