私は、20代、30代と比較的健康に恵まれました。天風先生がご存命で、その指導のもとで「心身統一法」というヨーガの修行をヒントにした方法を実践していたからです。「心身統一法」のなかでも、自己暗示のことばが、私の心に影響をあたえた最大のものであった、といまは思います。愚かな私は、その頃、そのことをあまり意識していませんでした。

私は高校で8年間英語を教えたあと、36年間、大学で英語を教えました。講師、助教授、教授と順調に昇進し、教授になったのは42歳のときでした。大学院へもいかず、学士の資格しかなかった人間としては異例の早さでした。

50歳にさしかかった頃、ひどい腰痛におそわれ、2、3年苦しみました。6カ月休職もしました。その頃、天風先生に習った瞑想をあらためて学びなおし、瞑想のコツを会得するにいたりました。そして、腰痛からくる消極的な気持ちを克服することができました。そのいきさつ、個人的体験は、『中村天風から教わったやさしい瞑想法』(プレジデント社)にくわしく書きました。

50歳代のおわり頃、大学で役職につき、大学全体の英語教育の責任者になりましたが、英語教育の方針について経営のトップと意見が対立し、私は苦境に立ちました。しばしば経営のトップと私のあいだで激論になり、罵倒しあうまでになりました。

これくらいのことに負けない自分だと思っていたのですが、ある朝、ストレスが積もりつもって心労となり限界に達しました。「このような精神状況のなかで人は自殺を考えるんだな」と私は思い、「この苦境から抜けでるには、教授のポストを投げだして辞職するしかない」とまで考えました。59歳のときでしたから、そのとき退職しても許される年齢だったかもしれません。

その日、いつもの瞑想を20分ほどしてから、そのときの自分の精神の状態を内省して、こう思いました。

「現在の自分の心は落ち込んでいる。20代で天風先生のご存命の頃は、こうではなかった。もっと力強くポジティブだった。当時の自分といまの自分は、どこが違うのか」

このように自問して、ハッと気がついたことは、

「ああ、そうだ!  20代の頃は、毎日のようにポジティブな自己暗示のことばを唱えたものだった。それらが私をはずむように元気にしていたのだった」

そう思いついて、私はもう一度天風先生から習った自己暗示のことばを覚えなおそうと決心したのです。そして先生の書かれた誦句集をとりだし、自己暗示のことばをくりかえし唱えました。すると、2、3日もすると、ぐんぐん昔のように元気が戻ってくるのを感じました。

あんなに苦しかった気持ちが、ウソのように消えて、それ以来私は毎日誦句集の自己暗示のことばを暗記しなおし、自分に朝夕いいきかせました。その効果は驚くべきものでした。大学の役職も、ウソのように気楽に感じられるようになりました。

真っ暗な闇の支配する部屋の中に、微かな光を灯すだけで、闇は消えてしまいます。おなじように、心の闇も、わずかな自己暗示の明るいことばで消えてしまうものです。ちょっとしたポジティブなことばにも、絶望的な状況から人を救う力があります。人の心を元気づけるような唱詩をくりかえせば、それは大きな光となって、人の心を照らすはずです。