「霊長類最強の男」と言われたロシアの英雄、アレクサンドル・カレリンの記録を抜いた前人未到の「世界13連覇」――。レスリング女子55キロ級・吉田沙保里のあまりに輝かしい偉業の達成に、私たち凡人は目が眩んでしまうが、吉田は決して完璧な人間ではない。

吉田沙保里さん

2002年、それまでずっと勝てなかった先輩・山本聖子を破った吉田は、一気にアジアチャンピオン、世界チャンピオンの座に上りつめた。そして、勢いそのままに04年アテネ五輪へ。本人曰く、「イケイケ」だった。

世界選手権2連覇を含め、国際大会16回連続優勝。外国人相手に70戦無敗の記録を引っさげ、怖いもの知らずの21歳は、あっさりと金メダルを獲得すると、さらに連勝街道を驀進した。

だが、挫折は突如訪れる。北京五輪イヤーの08年、その前哨戦であるワールドカップでまさかの敗北を喫し、吉田の連勝記録は119でストップしてしまう。

吉田は一晩中、泣き続けた。食べ物も喉を通らず、体調を崩すほどだった。しかし、立ち止まらなかった。挫折を「神様がくれた贈り物」と考えたと吉田は述懐する。時計を分解掃除するように、自分の技を見直していった。

「五輪前に負けてよかった、そう思いました。自分の中にどこか甘さがあったのでしょう。あの負けは、自分の意識を変えてくれました。精神的にも強くなれたし、技術的にも進歩できました。連勝中なら絶対にそんなことしないでしょうけど、初心に戻って練習に打ち込みました」

1回の敗北を真摯に受け止め、成功体験を躊躇なく捨てる――。吉田の勝負への執念が、私たちに問いかけてくる。普段は陽気にはしゃぎ、誰にでも明るく笑顔で接する吉田だが、レスリングの話になると様子は一変。厳しい表情で、1つひとつ確かめ、かみ締めるように話す。

北京五輪までの7カ月間、吉田は猛練習を続けた。結局、北京では1ピリオドも失わず、決勝戦では得意のタックルから鮮やかなフォール勝ちを決め、五輪2連覇を達成。表彰台から降りてくるやいなや、あっけらかんと、「ロンドンで五輪3連覇します」と宣言した。