すべては、しっかりした基本があればこそ。吉田はレスリングの幅を広げ、五輪3連覇に挑むことができた。

「旗手を務めたら、好成績はあげられない」

そんなジンクスは百も承知で、自ら志願するように旗手となり、開会式では笑顔で日本選手団の先頭を歩いた。

「なんのためにロンドンに来たんだ。日本女子選手初のオリンピック3連覇を達成するためだ。応援してくれるみんなに恩返ししたい。喜んでもらいたい。父を肩車したい」

どうあがこうが、プレッシャーからは逃れられない。だからこそ、入念に準備をする。自ら退路を断ち、追い込むことによって自分の弱い心を克服するしかない。

日本を発つ前から寝不足が続いた。それまでまったくなかった“負けるイメージ”が頭をよぎり、アテネ、北京とは違って、試合前日も眠れなかった。そんな自分に打ち勝つために、吉田は練習を続けた。

ロンドン五輪、吉田があげた得点はわずか13点。フォール勝ちもない。それまでの吉田の戦い方からすれば考えられないような得点の低さだが、失点はゼロだった。

「試合が終わったとき、私の手が上がっていればいい。大事なことは、表彰台の1番上に立つことだけ」

ロースコアの泥臭い戦いになろうが、勝つことだけに徹した「ニュー吉田沙保里」の誕生だ。数々の経験を積み、修羅場をかいくぐってきた。だからもう「イケイケ」ではいられなくなった。だが、それこそが進化の証だった。

五輪後の9月、吉田は全試合フォール勝ちで世界選手権を10連覇。五輪3連覇とあわせ「世界13連覇」を達成した。

己の強さの原点にいつでも立ち返り、負ければ自分のやり方をゼロベースで見直す。最後の課題として残ったプレッシャーに対しては、あえてさらに強いプレッシャーを自分にかけることで克服する。吉田の不屈の精神こそ、今の日本と日本のビジネスパーソンに欠けているものではないか。

(文中敬称略)

吉田沙保里
1982年、三重県津市に3人兄妹の末っ子として生まれる。中京女子大学卒業。ALSOK(綜合警備保障)所属。2012年の世界選手権で優勝し、世界大会13大会連続優勝を達成。この功績が称えられ、日本政府より国民栄誉賞を受賞。
(保高幸子、飯田安国=撮影)
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