三畳一間のアパートで毎日ゴロゴロ

とにかく「アヘン王国」は書くのにかなり体力を消耗したのに売れなかった。峠を越えたら奈落だったような。でも、その理由は、今ならわかります。

大学探検部を出てすぐに作家として活動したので、キャリアがない。そのうえ、辺境ライターなんて肩書きを名乗っていた。「○○新聞元記者」なら世間は納得しますが、ぼくの肩書では信用が得られないんですよ。

ましてやアヘン中毒になったとか、いくら笑いを交えて、面白おかしく書いても、いやそれだから「この著者は、ふざけているんじゃないか」と思われたんでしょうね。

まったく当然の反応ですけど、あの頃はそこまで俯瞰して考えられなかった。

自分が確立したと思っていた「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをし、誰も書かない本を書く」というスタイルが間違っているんじゃないか、とウツウツとしていました。

ミャンマーのカチン軍兵士と魚を取る高野さん。
画像=本人提供
ミャンマーのカチン軍兵士と魚を取る高野さん。

帰国後はアヘン中毒の辛さを紛らわせようと飲酒を始めたんですが、「アヘン王国」出版後はネガティブな感情から逃れるために、毎日朝から飲むようになりました。あっという間にアル中です(苦笑)。そんな状態では、仕事もできない。学生時代から暮らしていた早稲田にある家賃1万2000円の三畳一間のアパートで毎日ゴロゴロして……。

就職した同級生たちは、堅実に働き、結婚して、子どもを育て、家を買っているわけでしょう。人生を間違えたんじゃないか。友人たちの近況を知るたびに、どうしてもそう考えちゃうんですよ。

「日本的なものさし」から外れる

30代は人生でいちばん脂が乗る年代で、身体を鍛え、語学をもっと勉強しているはずなのにできない。理想と現実がかけ離れていてツラかった。自分が何者でもない現実を突きつけられる気がしたんです。

そんな時期だからこそ、なんでしょうね。後につながる面白い出会いがありました。ひとつは台湾人の社長が発行する新聞社「ニューコム」の編集兼ライターとしてスカウトされたんです。

ニューコムでは、ぼくが唯一の日本人で、他は台湾、タイ、ミャンマー、インドネシア、フィリピン、韓国などの人たちが働いていました。

職に就いて安定した生活を送る。男はこうすべき。何歳までにこうしなければならない。彼らにはそうした「日本的なものさし」に当てはまらない生き方に癒やされましたね。

条件のいい仕事があったり、仕事に飽きたりするとすぐに辞めるし、「ニューコム」の傍らで、自分のビジネスも手がけている。しかもみんな背景が違って、価値観がバラバラなんです。そこが居心地がよかった。

周りにいたのは、いわゆる「在日外国人」と呼ばれる人たちでしたが、ぼくは日本人でありながら外から日本社会に入ってきた「在日日本人」のような感覚でしたね。