トクヴィルが描いた「やさしい後見人」
アレクシ・ド・トクヴィルは1831年、25歳のとき米国に渡り、生まれたばかりの民主主義を観察した。その成果が『アメリカのデモクラシー』である。この本の第2巻の終わり近くで、トクヴィルは民主主義の未来について、ある不吉な予感を書き記した。
民主主義の人々は、圧政者に踏みにじられるのではない。巨大で、穏やかで、面倒見のよい権力に、自ら身を委ねていく。その権力は人々の安全を守り、必要を満たし、楽しみを用意し、暮らしの面倒を見る。親の愛情に似ている。だが親と違って、子どもを大人にしようとはしない。人々を、いつまでも子どものままにとどめておこうとする。トクヴィルは、そう描いた。
拙著『古典で読み解く! 10年後の未来 何が世界を動かしているのか』(朝日新聞出版、10月20日刊)の第3章は、民主主義の未来をこの視点から考えた章である。その一節に「トクヴィルが200年前の米国に見たものが、現代のフランスに現れる」と題し、「現代フランスの『人民の保護者』が支持を得る」構図を論じた。
私が未来を考える本で「民主主義」を独立した一章にしたのは、技術や経済の変化とともに、人々が政治に何を求め、そのためにどこまで権力を委ねるかが、私たちの暮らす社会を変えるからである。
破壊を訴える勢力が、保護に熱心になる
フランスの政治には、一見すると不思議な現象がある。既存の政治を壊すと訴える勢力が、福祉や年金を守ることにおいては、誰よりも熱心なのである。ルペン氏が掲げる退職年齢の引き下げは、その象徴だ。破壊者を名乗る者が、手厚い保護者として支持を集めている。
もっとも、国家に保護を求めることは、民主主義の重要な営みである。年金や教育を求める声は、政治に参加し、自分たちの暮らしを自分たちで形づくろうとする意思の表れでもある。トクヴィルの警告を重ねて考えたいのは、その先だ。保護を約束する政治家に、人々はどこまで判断を委ねるのか。暮らしを支えてもらうことと、自分たちで政治を動かす力を手放すことの間に、境界線を引けるだろうか。
本書では、歴史の動きを8つの構成要素から捉える。動因、始まり、成長、転換点、頂点、崩れ、終わり、そして反復性である。何が人々を動かし、それがどう始まり、どこで向きを変え、どのように繰り返されるのか。トクヴィルの観察は、このうち「動因」と「反復性」を考えるうえで、とりわけ多くを教えてくれる。保護を求める心は、時代が変わっても形を変えて現れるからだ。

