帆柱に身を縛ったオデュッセウス

ここで、もう一つの古典を開こう。ホメロスの叙事詩『オデュッセイア』である。

トロイア戦争を終えた英雄オデュッセウスは、故郷へ帰る長い航海の途中、セイレーンたちの住む島のそばを通ることになる。セイレーンの歌声はあまりに美しく、聞いた船乗りは引き寄せられて船を岸へ向け、二度と故郷に帰れない。島の周りには、そうして命を落とした者たちの骨が積み重なっているという。

魔女キルケーの助言を受けたオデュッセウスは、一つの策を講じる。部下たちの耳には蜜蝋を詰めて、歌声が聞こえないようにする。そして自分だけは歌を聞けるよう、部下に命じて帆柱に身を縛らせた。もし私が縄を解けと頼んだら、そのときはもっと固く縛れ。そう言い含めておいたのである。

船が島に近づくと、歌声が響いた。オデュッセウスは心を奪われ、縄を解けと目で合図を送る。だが部下たちは命じられたとおり、さらに固く縄を締めた。こうして船は島を通り過ぎ、オデュッセウスは歌声を聞きながら、生きて航海を続けることができた。

ユーロという縄を、自ら結んだ

この物語は、フランスが置かれた立場をよく映している。フランスは単一通貨ユーロを採用したとき、自国の通貨を自由に発行する権限を手放した。財政赤字をGDP比3%、政府債務を60%以内に収めるというEUの財政ルールにも加わった。いわば、自ら帆柱に身を縛ったのである。

その縄は、いまも生きている。フランスは2024年から、EUの過剰財政赤字是正手続きの対象となっている。欧州中央銀行(ECB)が市場の混乱時に国債を買い支える仕組みを使うかどうかも、EUからの是正勧告への対応や債務の持続可能性などを総合的に評価して判断される。

ECB本部前のユーロサイン
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ただし、ここで区別しておきたいことがある。EUの財政ルールは、各国があらかじめ合意した縄である。一方、金利の上昇は、その縄とは別に、船の進路を厳しくする風や波にあたる。縄は自ら選んで結んだものだが、風や波は外から押し寄せる。そして、市場が求める調整の速さと、社会が受け止められる改革の速さの間には、しばしば差が生まれる。その差をどう埋めるかが、いまのフランスに問われている。

セイレーンの歌声にあたるのが、財源の裏付けを示さないまま保護を約束する声である。退職年齢を引き下げる。債務を再交渉する。どれも、聞く人の心を強く引きつける。