喝采で統治の難しさを飛び越える

ネロの姿から読み取ったのは、統治の難しさを喝采によって飛び越えようとする誘惑である。利害を調整し、財政を管理し、法の手続きを守る仕事には時間がかかる。しかし観客を熱狂させれば、成果を出す前に支持を得られる。社会をよくする力より、支持者を興奮させる力が評価され始めると、政治の目的そのものが変わってしまう。

この構造でトランプ大統領を読むと、強硬な言動や力の誇示が支持を集め、その支持に応えるため、さらに強い行動を選びやすくなる危うさが見えてくる。『神曲』を重ねれば、自分の欲望や正義を絶対視し、行動の帰結を省みず、自己正当化を繰り返す「地獄篇」的な状態である。相手を屈服させることが統治の成果として消費され続けるなら、対立を収めるより、次の敵を求める方へ政治が傾きかねない。この記事では、そうした権力者の行動と、過激さを支持する社会が互いを強めていく構造を問うた。

2015年10月10日、アトランタ近郊の政治集会でスピーチを行うドナルド・トランプ候補(当時)
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企業でも、トップの断言に拍手が集まり、異論を述べる人が遠ざけられることがある。そのとき点検すべきなのは、トップの性格に加え、情報の伝わり方や、幹部が何によって評価されるかという仕組みだ。古典から構造を読むことで、批判の対象を探す段階から、同じ過ちを防ぐ条件を考える段階へ進める。

決めた後に考え直せるリーダーは強い

その3日後、1月13日の記事〈「即断即決」のリーダーは必ず最後に失敗する…2000年前のローマ皇帝があえて「迷い、悩む姿」をさらしたワケ〉も、トランプ大統領を明確に意識して書いた。最初の記事で権力と熱狂の危うさを論じたのに対し、2本目では、ローマの五賢帝を題材に、リーダーが自分の判断を修正し、暴走を止める条件を考えた。

不安なとき、迷わず断言する人は頼もしく見える。説明を聞いて考え続ける負担から、私たちを解放してくれるからだ。しかし、説明を省くことまで決断力として評価すれば、その判断が何に基づき、どんな代償を伴うのかを確かめる機会が失われる。

この記事では、『神曲』の地獄を、過ちを認めず、修正できないまま同じ行動を繰り返す状態として読んだ。一度決めた方針から引き返せなくなると、現実とのずれが広がる。そのずれを認める代わりに、さらに強い言葉や新たな敵を必要とする。修正できないことが、次の失敗を生んでしまうのである。