強い指導者ほど引き返せなくなる

トランプ大統領に即していえば、強硬策の修正を弱さや敗北とみなし、異論を退け続ければ、引き返す選択肢を自ら狭めることになる。古典から見える危険は、強い指導者であろうとするほど、自分が決めた方針に縛られてしまう逆説である。そこから抜け出す条件を考えるために、五賢帝を取り上げた。迷いを自覚し、他者の知恵に耳を傾け、自らの権力を抑制する姿勢が、長い時間を担う統治には欠かせない。判断を問い直す仕組みを取り戻せるかどうかが、「地獄篇」の反復から「煉獄篇」の修正へ進む分岐点になる。

経営に引き寄せれば、投資を決める際に「どの前提が崩れたら見直すか」まで共有しておくことが一例になる。方針変更をトップの敗北とみなす組織では、誤りを知った人ほど黙ってしまう。決断の速さと、決断後に学び直す力を、ともに評価する必要がある。本書で考える実践知も、こうした状況に応じた判断と自己抑制につながっている。

国境が変わらなくても覇権は動く

2月10日の記事〈日本には習近平の野望を打ち砕く「切り札」がある…中国による「孫子の兵法的・世界制圧」にある致命的な弱点〉では、『孫子』を手がかりに、中国の影響力拡大を日常生活の基盤から読み解いた。米国が関税や制裁を前面に出す間に、別の場所で競争の条件が変わっているのではないか、という問いである。

中国・北京人民大会堂
写真=iStock.com/Mirko Kuzmanovic
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取り上げたのは、ペルーのチャンカイ港、ブラジルの中国製EV生産拠点、エネルギーや通信への関与だった。一つひとつを投資案件として見ているだけでは、全体の意味を捉えにくい。それらが結びつけば、物流、移動、電力、情報を支える仕組みとして、人々の暮らしに入り込むからだ。

私はこれを「社会OS」と表現した。社会を動かす設備や規格、調達、運用が一体となった仕組みである。例えばEVを購入すると、その後も充電設備、部品、整備網を使い続ける。電力の制御まで結びつけば、影響は自動車の販売台数を超え、生活や事業を続ける条件に及ぶ。国境線は変わらなくても、何に頼って暮らすかは変わっていく。

『孫子』を通して見ると、競争の焦点は、相手と正面から力をぶつける場面の外側にも広がる。相手が行動する環境や選択肢を、誰がどのようにつくっているか。そこに目を向けると、目立つ政治的対立の背後で進む変化が見えてくる。