信長も実力を認めた若きエリート武者
その元親の嫡男として期待を寄せられていたのが、1565(永禄8)年生まれの信親だった。身長は6尺1寸(約185cm)とも伝えられる。少年時代から聡明で、一族や家中からの信望も厚く、父・元親からの期待は絶大だったという。
実戦にも早くから参加している。1582(天正10)年には、元親の四国統一への戦いで最も重要な戦いだったともいえる中富川の戦いにも参陣したといわれる。この戦いで長宗我部軍は三好・十河方を破り、阿波支配を大きく前進させている。この戦いのみならず、四国統一を進める父の片腕として、信親が実戦経験を積んでいたことは確かだろう。
信親の早熟ぶりを示すこんなエピソードもある。元服した1575(天正3)年、当時、長宗我部家と良好な関係にあった織田信長から“信”の一字を受けたとする記録も。さらに、信長からは左文字の太刀と駿馬を拝領したとも伝えられている。
知略、武勇、家中での人望を兼ね備えた若き武者。四国の覇者・元親にとって、これほど理想的な跡取りはいなかっただろう。秀吉に臣従することになったとはいえ、家名と土佐一国は残った。「信親さえいれば、将来の長宗我部家も安泰だ」と、元親も考えていたのではないだろうか。
ところが、その期待を無惨にも反故にする“もらい事故”が起きてしまうのだ。



