「豊臣兄弟!」(NHK)では豊臣秀長(仲野太賀)による大和郡山の統治が軽快に描かれた。古城探訪家の今泉慎一さんは「しかし、郡山城はもともと別の武将が築いたもの。秀吉・秀長はその後継者を追い出して自分たちの直轄地とした」という――。
郡山城を築いたのは秀長ではなかった
第26回:郡山城(奈良県大和郡山市)
天正13(1585)年閏8月、豊臣秀吉の弟・秀長は大和国を与えられ、大和・紀伊・和泉の3カ国を領する"大大名"となった。名実ともに天下人の弟として権力を得たことになる。大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)でも、秀長による「大和郡山編」が展開した。
しかし、秀長がここから生涯を終えるまで拠点とした郡山城(奈良県大和郡山市城内町2)は、実は秀長が築城した城ではない。この地に城を築き、前年まで本拠としていたのは、筒井順慶(1549~84年)だ。
秀長の城・郡山城の基礎を築いた男、筒井順慶。その生涯は、戦国武将でも有数の波乱に満ちたものだった。
波乱の大和国に最大のライバル出現
そもそも、戦国時代の大和は強大な守護大名が一国をまとめていたわけではなかった。興福寺などの寺社勢力が大きな力を持つ一方で、複数の有力な国衆(在地勢力)が割拠していた。それぞれが自分たちの領地と城を守り、時には手を組み、時には敵対する状況だった。
筒井家もそのような国衆のひとつだった。父・順昭の時代に勢力を大きく伸ばしたが、1550(天文19)年に死去する。跡を継いだのは、まだ2歳ほどの嫡男・順慶。幼い当主を抱えた筒井家は、決して安泰ではなかった。




